新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

先鋭化された過激派集団

 昨日「イスラム国の衝撃」をご紹介したのだが、引き続き同国の内情を掘り下げた書を読んでみた。筆者の黒井文太郎氏は、インテリジェンスに詳しい軍事ジャーナリスト。国家というより戦闘集団としての「イスラム国」を分析し、最終的に「彼らとの平和共存は不可能」と結論づけている。

 

 中東地域の不安定化は、オスマン=トルコ帝国の崩壊によるものというのが昨日の「イスラム国の衝撃」が伝えたこと。その後列強が人工的に引いた国境線によって、この地域に住む人たちが(ある種)無用な争いに巻き込まれている。もともとの民族や宗派の境界を無視した国境線は、列強のタガがゆるめば崩れ去る。

 

        f:id:nicky-akira:20210927091923j:plain

 

 「イスラム国(IS)」の以前の呼び名は「ISIS:イラクとシャームのイスラム国」だった。シャームとは、イラク北部からシリアにまたがる地域、トルコ・シリア・イラクにわたるクルド人地域の南にあたるところだろう。宗派はスンニ派、かつて「中東の狂犬」と恐れられたサダム・フセインスンニ派だった。フセイン政権は多数のシーア派を、少数のスンニ派が恐怖で統治するものだった。湾岸戦争からイラク戦争フセイン政権が崩壊、米国がバックについたシーア派中心の新政権ができたが、隣国イランはシーア派だし、米国とイランは仇敵という複雑な関係。

 

 イラク国内で不利になったスンニ派の過激集団が、シリアの反アサド勢力と結びついて「イスラム国」の原型ができた。だから幹部には旧フセイン政権の軍人も多い。最初は1,000名ほどの勢力だったが、戦闘能力と残虐性が高く政府軍を蹴散らしてイラク第二の都市モスルを占領、バクダットにも迫った。もともとこのあたりはスンニ派も多く、寄せ集めで士気の低い政府軍は(米軍らから供与された)武器を置いて逃げ去った。このあたり、後のアフガニスタン政府軍と共通する。

 

 手に入れた重火器などで、今度はシリアで攻勢に出、アサド政府軍を苦しめた。そうなると各地から「我こそは」という戦闘員が集まり勢力を拡大した。面白いのは組織の部門の名称、宗教委員会・治安情報委員会などというのはいいとして、自爆要員調整担当・女性孤児担当・爆弾製造指導担当・捕虜担当などの役職もある。これらの幹部の合議制で「国の方針」が決まる。

 

 本書発表後一時期報道が少なかったのですが、今はアフガニスタンタリバンと対峙しているようです。やはり「彼らとの平和共存」は無理ですね。