新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

大元帥の責任と権限

 宮内庁は、24年余りの時間をかけて「昭和天皇実録」全61巻を編纂した。実は「明治天皇実録」も「大正天皇実録」もすでに編纂されている。ただ今回のものは、一般向けに全19巻に分けて出版されることになった。それに先立ち「歴史探偵」半藤先生はじめ4人の専門家がこれを読み解き、1冊の新書にまとめたのが本書(2015年発表)である。すでにいくつかの書で読んだこともあるが、昭和天皇の考えや行動を知り、皇室とは何かを考えるきっかけになると思って手に取った。

 

 昭和天皇は皇太子時代に、第一次世界大戦が終わったばかりの欧州に外遊している。激戦地ヴェルダンの悲惨さを見、パリやロンドンの風物に触れ、不戦の考えと近代化の重要性を胸に帰国している。しかしすでに満州国に陸軍は進出していて、日中戦争がはじまるきっかけとなった「熱河作戦」のころには、天皇はまだ30歳そこそこ。老獪な軍人・政治家たちにまるめこまれ、日本は実質戦争状態に入っていく。

 

 このころ天皇には3つの顔があったと、半藤先生は言う。それは、

 

・陸海軍を統帥する大元帥

立憲君主としての天皇

・それらの上に君臨する大祭司(現人神)

 

 で、大元帥として軍を統帥、君主として国を治め、神の末裔として先祖を祀るのが務めだ。

 

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 満州事変の時も、天皇朝鮮軍の越境攻撃を禁じていたにもかかわらず、林将軍は満州に侵攻。制御が効かなかった。2・26事件の時には、決起した将校たちを鎮圧したがらない将軍たちを前に「朕自ら鎮圧する」とまで言わなければ、決起は成功していたかもしれない。政治面でも松岡外相は天皇が納得しない「三国同盟」を締結し、叱責されている。叱責はしても、これを覆すには至らなかった。

 

 それは天皇の努力が足りなかったというよりは、大祭司の心を忖度した軍人・政治家たちの暴走を止められない何かがあったのだろうと思われる。戦争の悲惨さを知る天皇は、敗色濃厚になって自ら和平交渉に乗り出す。地上戦の犠牲となった沖縄県民には、戦後も特段の配慮をされたとある。

 

 ただ「実録」も、すべてが真実とは限らない。4人の専門家は「特に記述が多いページはのちに書き足された可能性がある」としている。もちろんその歴史的価値は非常に高く、次世代・次々世代に至るまで歴史研究の対象になるという。立憲君主とはどんなものか?僕の印象は、別の機会にお話ししましょう。