新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

習大人が真似ている男

 共産党100周年式典に北京冬季五輪、着々と三期目を目指す習大人だが、彼が手本としているのが「毛沢東主席」。知っているつもりだったが、実際どんな人かは忘れてしまった。そこで古い(1989年発表)本だが、本書を引っ張り出してきて再読した。著者の竹内実氏は山東省生まれの中国文学研究者、執筆当時は立命館大学教授だった。

 

 毛沢東は、1893年湖南省の富農の家に生まれた。聡明な子供だったらしいが、20歳前に辛亥革命に参加し、その後軍人を止めて第一師範を卒業し、北京大学で働いていた。そのころ以下の3つの書籍を読んで、共産主義に傾倒する。

 

・陳望道訳の「共産党宣言

・カウツキー著「階級闘争

・カーカップ著「社会主義史」

 

 特に「階級闘争」という言葉自体、彼のライフワークでありバックボーンとなった。共産主義革命として、地主/富農/中農/貧農・雇農の階級の上位2つを敵、一番下を友とした。共産党一派は国民党(蒋介石軍)との闘いに敗れ「長征」という逃避行に移るが、その課程で毛沢東はのし上がり、日本軍降伏後の中国で「中華人民共和国」を作って主席となった。彼の国家建設計画は、次の10項目に集約できる。

 

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1)反革命分子の粛清

2)農業協同組合推進

3)商工業者の改造

4)知識分子の改造

5)少数民族政策

6)統一的計画と個人

7)学術文芸界の自由化

8)労働者等のスト対策

9)節約の励行

10)中国工業化の道

 

 特に重要視していたのは最後の「工業化」、重工業の発展(KPIは鉄の生産量)のためにも軽工業・農業も同時にに発展させるべきとしている。手法はソ連に倣い「五ヵ年計画」。また知識人の改造などについては「整風」という方針が採られて「プチブル階級」に対して無情な打撃を加え、残酷な闘争を仕掛けた。

 

 この流れが後の文化大革命紅衛兵の跳梁)を呼び、現在の「共同富裕」や「IT企業叩き」に繋がっている。ただ、これを毛沢東一人の責任にするのは間違っている。彼自身、漢族や中央は重要だとしつつ少数民族や地方も重要だと述べている。しかし回りが(忖度して?過剰反応して?)毛主席の個人崇拝をあおって、これを利用したようだ。米人ジャーナリストに主席は「個人崇拝は必要」と語ったとされるが、実はその前に「少しばかりは」とつけていたのをカットされて報道されている。

 

 毛主席も晩年は失敗が目立ちました。さて、習大人はどうされるのでしょうかね。