新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

社会課題を反映するに・・・

 昨年、短篇集「およね平吉時穴道行」を紹介した半村良の、比較的後期の長編が本書(1992年発表)。「およね・・・」を読んで、とらえどころのない作家だと(失礼にも)評しているが、本書を読んでもその印象は変わらなかった。本書発表のころになると作者は押しも押されもせぬ大ベストセラー作家で、新作が出れば書店の一番目立つ棚に並べられる売れっ子ぶりだった。

 

 本書の解説を読むと、その理由が少しは分かった。作者は「伝奇作家」からキャリアを始め「SF作家」として大成するのだが、アイザック・アシモフの「Science Fiction」でもなければ、マイクル・クライトンの「Science Fact」のような作風でもない。「SFの名を冠しておけば、何でも書ける」というのがモットーで、本当に書きたいことをSFというカバーで覆ったということ。

 

        f:id:nicky-akira:20201003083818j:plain

 

 例えば本書で取り上げられているのは、日本の特に東京の世紀末の劣化である。本来は美しい伝統文化がありながら、バブルに踊り庭園を壊して高層ビルを建てる街。地方からそして世界から多様な人が集まり、派手に騒ぐ人もいるが多くの人は阻害され裏街に閉じ込められて徒党を組むしか生きるすべがない。そんな東京の劣化を、SF小説の形で「告発」したのが本書のようだ。

 

 時代は2030年、東京は治安も衛生も最低の街になっていた。日本人の比率は半分以下になり、インド人街・バングラディッシュ人街・フィリピン人街などがあちこちにできている。そんな東京を嫌って、日本人のエリートたちは21世紀初めに東北5県に脱出、ここに「ファウンデーション」を築いて特別自治区とした。自治区で育った行政官月岡は、将来を嘱望されるエリート。首長の大江にも可愛がられているが、大江の娘が失踪したことから彼女を探す使命を与えられる。東北各県を巡る月岡は、捜索の過程で自治区のTOPたちが隠し持つ「資産」に触れて動揺する。やがて娘は東京に潜伏しているとの情報が入り、月岡は東京に潜入するのだが・・・。

 

 作者が書きたかったのは、バブル崩壊後の東京の堕落、家族の崩壊、地域の絆の断絶、文化の退廃などの社会課題だったろう。このまま行くとこうなるよ、と書いて見せたのが月岡が潜入する「穢れた街東京」だった。面白い趣向の長編で、解説にあるように一気に読んでしまえるのは確かです。ただ僕は、どうしても「底の浅さ」を感じてしまいました。