新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ちゃんと楷書が書けてから

 本書は土屋隆夫コレクションとして、長編「危険な童話」と短編3編、いくつかのエッセイを合本したものである。長編へのコメントは後述するとして、解説には興味深いものがあった。作者は日本の本格探偵小説第二期の巨匠だが、本格ミステリーは一片の余りもなく割り切れて明確な解決が示されなくてはいけないと努力し続けた人だ。その心得は「楷書」だという。

 

 作者は「一点一画もおろそかにしないのが楷書、窮屈だし手間もかかる。それでも楷書がちゃんとかけないうちに我流に草書で書いてしまうと・・・」要はものにならないと言っているようだ。短編には本書に収められているようにサスペンス風の作品もあるのだが、長編11作はいずれも堂々とした「楷書」である。

 

 その中でも「危険な童話」は、千草検事のようなレギュラー探偵ではないノンシリーズ。長野県上田市で起きた奇妙な殺人事件を、地元警察の木曾刑事らが追う。全編で「月姫伝説」をなぞった童話がモチーフになっていて、容疑者江津子の6歳の娘加代子が捜査に大きな役割を持って絡んでくる。

 

        f:id:nicky-akira:20200903210134j:plain

 

 6年前に人事不省まで酔って、たまたま居合わせた女性を死なせてしまった俊二は、仮釈放で刑期満了前に刑務所を出、従兄弟の未亡人江津子を訪ねてきた。しかし江津子が買い物から帰宅すると、何者かに刺殺されていた。目撃者もおらず、凶器は発見されない。しかし江津子の死体を見つけた時の行動に不審を抱いた木曾刑事らは、江津子が殺してから偽装のために買い物に出たと考え彼女を拘留する。

 

 しかし江津子は無実を主張、何も知らないと言い張る。そのうちに捜査本部に「その女は犯人ではない。犯人はスキー服の男」との差出人不明の手紙が届く。手紙からはある前科者の指紋が見つかるのだが、その男は手紙はもちろん事件当日は地域の旅行で熱海に行っていたと目撃者にもなれないことを主張する。さらに日を置いてもう一通の手紙が・・・。

 

 大向こうをうならせるトリックこそないものの、小さな複数のトリックの組み合わせが絶妙。木曾刑事は6年前の俊二の事件、指紋を残した前科者、江津子の夫が死亡した件などを丹念に洗う。そしてトリックを一枚一枚はがしてゆく。これぞ「楷書」のち密なプロットですね。今はこのような地道な創作をする作家はいなくなりました。作者の長編で残っているのは1冊だけです。