新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

<山の民>藤吉郎

 今日6月2日は本能寺の変の日。「信長の棺」に始まる本能寺三部作以降、戦国時代から徳川幕府初期の<歴史の真相>とも呼べる作品を、作者加藤廣は1ダースほど遺した。デビュー作「信長の棺」以下、千利休や九鬼水軍を扱った作品も以前紹介しているし、他に宮本武蔵を扱った作品もある。本書はその中でも時代的には一番古いもの、信長が尾張をようやく統一したころである。

 

 当時の尾張は決して豊かな土地ではない。たびたび水害に襲われ米の生産量も少ない。集められる兵力は高々5,000人。一方東海一の弓取りと謳われた今川義元は、肥沃で温暖な遠江駿河を治め2万人を超える動員力を持っている。あっけなく信長に討たれたことから無能な大名と思われているが、治世にも軍事にも、謀略にも長じた大物である。武田信玄が甲斐を追った実父信虎を匿うことで、甲斐の戦力もある程度取り込めている。義元は上洛にあたり、まだ治世が十分ではない尾張を踏みつぶすつもりだ。

 

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 そんな尾張織田家の危機に、木下藤吉郎が驚くべき秘策を考えるというのが本書の骨子。藤吉郎は一介の足軽頭だが、平安京の時代から名家の血筋を引きながら京を追われた<山の民>の一人だというのが、「信長の棺」にも出てくる仮説だ。藤吉郎に力を貸す蜂須賀小六と前野小右衛門も、<山の民>の末裔だとある。

 

 藤吉郎の父弥右衛門は、尾張の内戦で負傷し亡くなるのだが、子供達にはしっかり学問を付けさせている。<山の民>は野戦築城などエンジニアリングに通じ、戦力として猛犬や騎馬を巧みに使う。諜報・防諜のノウハウも持っている。本書の中で藤吉郎が信長に対し「間道を抜ける騎馬戦力による奇襲攻撃」が無理だと説得する場面では、「戦力自乗の法則」を算盤を使った説明をしていることにも驚かされる。

 

 僕が生まれ育ったのも尾張平野、本書では地方豪族蜂須賀小六の屋敷があったのが「宮後村」となっているが、僕の小学校区である。親父に聞くと蜂須賀家は木曽川などの水運を仕切る「川海賊」だったとのこと。水運業にもエンジニアリングは必須だ。それも含めて作者の大胆な仮説には、うなずけるところが多い。

 

 藤吉郎がなぜ「針売り」の行商をしていたかなど、膝を叩くシーンがふんだんに出てくるのが作者の特徴です。75歳で作家デビューした作者も、2018年に亡くなりました。もう新作が読めないのは、とても残念です。