新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ロンメル夫人の誕生日

 昨年の今日、映画「The Longest Day」のDVDを紹介した。英米独三ヵ国のオールスターキャストが出演した、永遠の大作である。今回はその原作となった同名のドキュメンタリーを紹介したい。本書は1959年に発表されたが、それに先立つ3年間に作者のコーネリアス・ライアンは、イギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・カナダを巡り、約700人の「D-Day生存者」を探し出してインタビューしている。

 

 作者は1950~1956年には「コリアーズ誌」の編集長だったのだが、同誌が廃刊になってしまって失業状態で、このインタビューを行ったという。借金も2万ドルに及んだと解説にある。本書には、米英軍指揮官・空挺兵・海軍兵・上陸部隊員・レジスタンス・独軍指揮官・独軍兵士らの生々しい証言が詰まっている。またさしもの大作映画でも映像化できなかったことや、各種のデータも本書で知ることができる。映画に無かったことをいくつか紹介しよう。

 

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◆ドイツ海軍の闘い

 わずか3隻の魚雷艇が、現地でのドイツ海軍の全戦力だった。3隻は海を埋め尽くす5,000隻の連合軍艦艇を襲い、ノルウェー海軍の駆逐艦スヴェンナーを撃沈している。

 

◇英海軍の特殊潜航艇

 2隻の特殊潜航艇(X-20、X-23)がD-Day前日から、上陸地点の海に潜伏していた。2隻は英連邦軍が上陸する地点で示す「洋上灯台」の役割を果たした。

 

ロンメルのアスパラガス

 地雷好きのロンメル将軍が砂浜に上陸してくる舟艇を破壊するために設置した、逆茂木とその先端に付けられた地雷のこと。舟艇に甚大な被害をもたらした。

 

◇鉄の棺桶と沈んだ兵士

 歩兵に続いて戦車などの重火器が揚陸されたが、少なくない戦車が輸送艦とともに沈んだ。多くの兵士は戦車とともに沈み、脱出できたものは少なかった。

 

 ロンメル元帥は、ノルウェーから南仏までの海岸線を要塞化しようとしていた。ノルマンディー海岸もそのうちに入っていたが、準備は十分ではなかった。加えて悪天候で上陸作戦の可能性はないと判断した彼は、妻の誕生日(6/6)を祝うためドイツに帰っていた。多くの将軍も持ち場を離れていたことが、独軍に災いした。そして総統の許可がないと動かせない機甲軍(SS12と教導師団)が、上陸間際の連合軍追い落としに使えなかったことで、勝機は去った。

 

 いや、ものすごい大作でかつリアリティにあふれた歴史書でした。