新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

古代のシミュレーションゲーム

 僕のゲーム好きは小学生時代からのもの。最初は「バンカース」などをしていたのだが、高学年のころから将棋を始めた。当時若手売り出し中の九段が書いた5冊組の教則本を片手に、コマをいじくっていた。中学時代が興味のピークで、その後麻雀や囲碁に移っていくことになる。

 

 本書に出会ったのは社会人になって20年ほどたち、東京へ転勤してきたころだ。アバロンヒルなどのシミュレーションウォーゲームを一渡りやってみて、精緻なシミュレーションより抽象化したゲームの面白さを感じ始めたころと言ってもいい。

 

 チェスや中国象棋もそうだが、将棋は古代に開発された戦術級のシミュレーションゲームが姿を変えて生き残ったものである。前衛として歩兵の散兵線があり、後方の両翼に機動力のある馬や車が展開している。王の脇を固めるのは近衛兵たる将だ。散兵戦で優位に立った側が敵主力を拘束し、両翼から馬・車が包囲する。実力伯仲なら近衛兵同士が相撃ち、勝敗が決まる。

 

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 本書には将棋のルーツ(インド等からの伝承)や、室町時代以前に存在した「大将棋」(15×15枡目、駒130枚)や「中将棋」(12×12枡目、駒92枚)の紹介もある。王将の脇には、金将銀将のほか銅将・鉄将・石将があり、歩兵の後ろには猛虎・横行などという補助戦力、両翼に奔車という後退できる香車がいた。

 

 敵陣に飛び込めば駒は「成る」ことができる。その「成り方」も複雑で、30種類以上の駒の動き方を覚えなくてはいけない。この時代までは駒は「取り捨て」、今の将棋のように取った駒を味方にして打ち込むことはできない。それでも複雑なことは今の将棋の比ではなく「成長しすぎたビッグゲーム」として、普及もしなかったし寿命は長くなかった。

 

 現在のものに近い「小将棋」は室町時代に発展し、有名な名人大橋宗桂(初代)が登場する。織田信長が重用したといわれる初代宗桂は、桂馬を使うのが巧みだということで「桂」の字を名前にするよう命じられたという。

 

 今は将棋界も人工知能(AI)ブーム、AIを参考に棋士が勉強するだけではなくAI同士が光速で戦ってノウハウを積んでいる時代です。AIを使えば、「大将棋」はおろか伝説の「魔訶大々将棋」の熱戦も鑑賞できるかもしれませんね。