新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

アフリカはピレネーより始まる

 本書は、先月「ドイツものしり紀行」を紹介した紅山雪夫氏の紀行、スペイン編。1997年トラベルジャーナル社より出版された「スペインの古都と街道」を改題、文庫化したものである。馴染み深いドイツと違い、僕ら夫婦のスペイン体験は一度だけ。

 

マドリードの青い空 - Cyber NINJA、只今参上 (hatenablog.com)

 

 に始まる記事で紹介しているが、本書にあるように「日本の旅行者はマドリードから旅行を始め、バルセロナで終える」その通りのツアーだった。マドリードは首都で最大都市だが、人口第二の都市バルセロナが経済と言う意味ではスペインNo.1である。

 

 イベリア半島にはギリシア人の後、フェニキア人がやってきた。バルセロナを中心に「ノヴァ・カルタゴ」を打ち立て、ローマに対抗した。ハンニバル・バルカら、バルカ家がここを発展させ、バルシーノと名付けたのがバルセロナの始まり。

 

 その後イスラム教徒に支配されたが、キリスト教勢力が盛り返し(レコンキスタ)、イスラム色の強い文化・遺跡も残ったエリアとなっている。雨の少ない台地主体の荒れ地が多い地形で「アフリカはピレネーより始まる」と言われるゆえんだ。

 

        

 

 雨が少ないゆえに川も少なく、水運に使える河川はドイツよりずっと少ない。その流域にいくつかの都市が生まれたが、交流は少なかった。今年のウクライナ紛争で、ウクライナ語とロシア語の違い(例:キーウとキエフ)を知ったが、スペイン各地にも言語の違いがある。

 

 バルセロナのあるカタルーニャ地方は、20世紀のスペイン内戦で最後までフランコ総統に楯突いたため、フランコ存命中は40年間カタルーニャ語教育や日常使用を禁じられ、カスティーヤ語を使わされたとある。例えば、カタルーニャ語の名前ペラは、ペドロと改名させられていた。

 

 歴史的建造物も、イスラム支配時代とキリスト教復権以降では作りが異なるとある。イスラム建築は、礼拝も含め室内・屋外の差が少ない。一体化した礼拝設備であり、生活空間だ。だからパティオ(中庭)が特徴的だ。キリスト教では礼拝は室内(教会内)で行うものだから、狭くてもそこで完結できるようになっている。庭は別空間という考え方だ。有名なアルハンブラ宮殿の「ライオンの泉」も中庭にあり、王の生活空間の中心部だったのが、その例である。

 

 まだまだ知らないスペインが一杯ありますね。是非、行ってみたいです。