新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

海軍第343航空隊「剣」

 太平洋戦争末期、圧倒的な質×量の米軍航空兵力に立ち向かえる帝国陸海軍戦力はあまりなかった。陸軍の隼や海軍の零戦では太刀打ちできない戦闘機や爆撃機を米国の技術と生産能力は量産していた。これらに対抗するため多くの試作機が作られたが、役に立ったものは少ない。その少ない例のひとつが、本書にある「紫電改」。

 

紫電改(NIK2-J)

 エンジン 中島誉21 空冷18気筒 1,990馬力

 最大速度 594km/h

 航続距離 1,720km

 機銃 99式 20mm×4

 爆装 250kg×2

 

 零戦の中島栄12エンジン(940馬力)から倍以上の出力を得て、全備重量4トンの機体を十分に機動させることができた。(零戦の全備重量は2.4トン) 機体が大きくなり小回りが利かないと見られたが、自動空戦フラップという技術で零戦並みの格闘戦能力も持っていた。加えて20mm機関砲4門という武装は、大型機の迎撃にも役に立った。

 

 いくら戦闘機が優れていても、これを駆る搭乗員が未熟では戦力にならない。また航空隊としてこれを統率する司令官、飛行隊長にも人材が必要だった。開戦当時の海軍航空参謀源田実中佐は、海軍きっての飛行機通。敗色濃くなった1944年にも優秀な戦闘機隊を作ることに注力し、自ら司令官となって第343航空隊を結成した。

 

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 第343航空隊は松山に本拠を置き、3個飛行隊に定足数各24機の紫電改を配備した。搭乗員は、南方含め方々に散っていた歴戦の者をかき集めた。筆者(宮崎勇)はその一人である。零戦に搭乗してガダルカナル上空で初めて敵機(F4F)を撃墜、以後ウェーキ、硫黄島と転戦し、第343航空隊に呼ばれたときは茂原で再編成の途中だった。

 

 いろいろな敵戦闘機(P38、F6F、F4Uなど)と戦い、爆撃機(B17、B24、B25など)との空戦も経験して、撃墜されている。海上に不時着して危ないところを救われてもいる。そんな経験を淡々と語りながら、本書の後半は第343航空部隊での闘いの日々を紹介している。

 

 表紙の写真は戦後20余年経って、松山沖の海底から引き揚げられた機体をレストアしたもの。NHK松山放送局からの連絡で、筆者も引き揚げに参加している。本書の題名「還ってきた紫電改」はこの機体に由来します。太平洋戦争最後の半年に咲いた華、あだ花だったかもしれませんが強い印象を残しましたね。