今日は鉄道の日(毎年10/14)である。明治22年に鉄道省によって制定された記念日だ。これまで多くの「鉄道愛」の書を紹介してきた宮脇俊三氏は、2003年に亡くなっている。享年76歳、戒名は「鉄道院周遊俊妙居士」という。本書は作者が晩年に情熱を燃やした「廃線跡巡り」の特集の最後のもので、文庫化が進んでいる中での訃報だった。
本書の冒頭「一昔前の時刻表の巻頭地図を見ると、涎が出そうになる」とある。1970年代をピークに鉄道の総キロ数は減少に転じる。ピークの頃作者は国鉄全線20,000km完乗を果たし、その経緯を書籍化している。当時の地図を見れば、今は廃止になってしまった幾多の鉄道が懐かしく思われるのは、決して作者だけではないだろう。
本書には、7つの鉄道跡を巡った記録が収められている。炭鉱路線など需要減によって廃止になったもの、本線がより便利になる(新トンネル開通など)ことで不要となった区間、参詣鉄道だったが他の交通機関に敗れたものなど、多くのバリエーションがある。いくつか印象に残ったものを紹介したい。
琴平宮に至る駅は、今のJR駅の他に3つの別々の私鉄駅があったという。過当競争になったわけである。
・琴参琴平駅 1964年廃止
・琴急琴平駅 1944年休止
・琴電琴平駅 1954年廃止
特攻基地で有名な知覧には、南薩鉄道の支線が伸びていた。1965年に水害で不通になり、その後廃線。伊集院から枕崎まで薩摩半島の西側を走っていた南薩鉄道全線も水害の後1984年に廃線となっている。
南大東島には乗客用ではないが、砂糖を運ぶ鉄道が敷かれて全長30kmほどにも及んだ。この島も人口減少がひどく、1960年に3,400名ほどいた人口が2000年には1,400人ほどになっている。本筋とは違うのだが、真水が乏しいため海水ろ過をして1トン800円ほどかかるものを民間に300円で卸すため村の財政は苦しいとある。離島の維持にはコストがかかるが、無人島なら外国の侵略(尖閣で危惧されるような)があるかもしれない。離島維持のコスト負担は、日本全体ですべきだろう。
作者とそれを支えたJTBのチームは、各所に残るトンネルの入り口、橋梁の基礎部分を見たり、枕木・犬クギ・レールの残骸を収集しています。これほどの鉄道愛をもった人には、なかなかお目にかかれないでしょう。作者の遺した本も、これが最後です。合掌。