新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

無政府共産主義者たちの死刑

 これまで夏樹静子「裁判百年史ものがたり」などで、死刑の実態を見てきたが、その中でも一度に12人を処刑したという<大逆事件>について、もっと詳しく知りたいと思って買ってきたのが本書。直木賞復讐するは我にあり)作家の佐木隆三が、膨大な当時の記録を読み込んで、小説の形で発表したもの。

 

 1910年、秋の天長節(明治なので11/3、天皇誕生日)あたりで、天皇の馬車に爆裂弾を投げつけるテロを企画したとして、26人が起訴された事件だ。当時の刑法73条(皇室に対する罪)では、皇族を傷つける計画をしただけで死刑となっていた。2人が有期懲役、24人に死刑判決が出たが、12人は恩赦で無期懲役減刑されている。

 

        

 

 実際に爆裂弾を試作し、投げる順番まで決めていた4人はともかく、幸徳秋水はじめ他の8人はうすうす計画を知って知らぬふりをしていたり、知らずに計画の一部に加担していた者ばかり。しかし、彼ら12人の死刑は1週間以内に執行された。

 

 皇族が圧倒的な信仰の対象だった時代、メディアは26人の非公開で行われた裁判を「無政府共産主義者の悪逆非道」と報じた。しかし新聞記者として裁判記録を(こっそり)見た石川啄木は「実行計画の4人は死刑でいいが、他はさほどの悪事ではなく、多くは無罪だ」と感じていた。

 

 日露戦争直後で市民の生活は苦しく、無政府共産主義を掲げる者たちは、

 

・50人ほどの決死の士を集め、爆裂弾で暴動を起こし

・電信電話や交通機関を途絶せしめ、官署を爆破

・税務署や登記所を破壊すれば、財産は市民が取り放題になる

 

 という革命を模索し、何人かは「大言壮語」していた。官憲は4人の計画を察知したことを契機に、無政府共産主義者の一掃を図った可能性が高い。検察官により誘導された自白などはあったものの、拷問等については本書では分からなかったです。こういう事件が110年前にあったこと、改めて勉強しました。