新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

伸介登場前の社会派ミステリー

 1979年発表の本書は、アリバイ崩しの巨匠津村秀介のデビュー第三作。第五作「山陰殺人事件」で登場するレギュラー探偵浦上伸介の前には、作者は所轄の警官を探偵役に社会派ミステリーを書いていた。作者が<週刊新潮>で<黒い報告書>を連載していた事件記者だったことは良く知られているが、初期の作品には本書のように犯罪の背景がヴィヴィッドに描かれるものが多い。

 

 その後商業主義なのか、トラベル&アリバイ崩しミステリーを量産することになるのだが、晩年の作品に厚みをもたらしたのも「犯罪の背景」だったと感じられる。パズルミステリーは面白いのだが「やがて寂しく・・・」なるのも事実で、多くのパズラー作家が、人間性や社会性に目を向けるようになっている。作者は、最初は社会派で、パズラーとして名を上げ、また社会派に戻ったような気もする。

 

        

 

 今回の事件は、嵐の夜に津久井湖相模川上流)と新松田(酒匂川沿い)でほぼ同じ時間に2人の女が殺されていたもの。中堅建設業者常務の太田の妻と、愛人が犠牲者だった。太田の企業は同族会社で、まだ30歳代の太田が常務にまで出世したのは、妻が社長の娘だったから。しかし最近社内での横領が疑われたり、愛人が発覚したりして太田の立場は悪くなっていた。

 

 捜査陣は、太田が腹心の部下を使って妻を殺したと見るのだが、愛人が殺された理由や同時に離れた場所で犯行ができるかが分からない。加えて太田にも部下にも鉄壁のアリバイがあった。太田が満州引揚者のひとりで、町田市付近の引揚者村で貧困の中に育ったことが語られる。高度成長期ではあったが、まだ「戦後」だったことを思い出させてくれた。

 

 小田原・横浜・川崎・町田と、土地勘のあるところが舞台で、それゆえにアリバイトリックの8割がたは分かりました。未入手だった作者の初期作品、面白かったです。