2017年発表の本書は、経済学者暉峻淑子(てるおかいつこ)氏のコミュニケーションを基軸に据えた社会論。冒頭「対話が続いているうちは、殴り合いは起きない」というドイツ人の言葉が紹介されている。これは真実で、
・誘拐やたてこもり事件でも交渉しているうちは、人質は比較的安全
・外交チャネルが開いているうちは、サイバー攻撃はあっても侵攻には至らない
のが常識である。赤ん坊が基礎的な知識を得るには、親などからの働きかけが必要。働きかけの多くは対話だとある。対話とは、上意下達の指示や講演のような一方通行ではなく、対等の立場で思うところを述べ合うこと。ディスカッションであってもいいが、優劣を競うディベートではないと筆者は言う。
実は日本人はこれが苦手で、その理由は、
1)異文化が少ない環境で育ち、一体感を持っていて、言葉に出さなくても理解してもらえると思っている。
2)万人に認められるルールではなく、特殊な人間関係で社会的な取り決めが成される傾向が強い。
のだそうだ。その結果、数々の悲劇が起きているとある。例示されていたのは、
・職員会議からの意見具申を排除した東京都教育委員会
・笹子トンネルの事故前の点検が手抜きだったこと
・関越道高架下に建設された公共施設の方針決定過程
である。そんな日本だが、本質的に人間は対話を渇望している。それが発露した例は、いくつかみられるという。あるコミュニティでは、何人かが自分の困っていることを提起して、対等な立場で意見を交換する会合が定期的に開催されるようになった。このような活動が広がっていくことで、民主主義の基礎が固まると言うことらしい。
道路整備などの街づくり、障害児教育、基地など迷惑施設対応など、いずれも対話が解決していくと筆者は言う。うーん、政治の基本も対話ですよね。米中対立やウクライナ紛争も・・・無理かな?