2020年発表の本書は、以前「砂漠の狐ロンメル将軍」を紹介した日本の戦史家大木毅氏の第二弾。「ドイツ装甲部隊の父」と呼ばれ「電撃戦」を考案して実践した戦車将軍と言われるのが、ハインツ・グデーリアン上級大将。
プロイセンの大地主の家に産まれ、陸軍幼年学校・陸軍士官学校を卒業し参謀の資格も得た将校である。南部の田舎出身で士官学校も出ず参謀資格もなかったロンメルよりは、中枢に近い軍人としてスタートした彼だったが貴族出身では無かった。
第一次世界大戦では兵站と情報主体の任務に就き、戦車など新兵器については興味を示していない。しかし戦後縮小されたドイツ国防軍には将校として残ることができた。ただそれは自動車化補給部隊で、戦闘部隊ではなかった。彼は自動車化部隊を戦闘に使えるのではと考え、上司と衝突しながらも機甲部隊編成の努力をする。その甲斐あって再編され拡大するナチスドイツ軍の中で頭角を現す。1937年装甲師団長として「戦車に注目せよ」との書を発表して、英米にも名を知られるようになる。
ポーランドで軍団長として実績を積み、フランス戦ではアルデンヌの森を突破する作戦を敢行、フランスを降伏させて「グデーリアン装甲軍団長:上級大将」となる。しかし1941年のソ連戦でヒトラーと激突、解任されてしまう。1943年、敗色濃くなったヒトラーに呼び戻されて装甲兵総監に就くが、敗戦で捕虜となる。
作戦級では無二の働きを見せた彼だが、戦略的思考は得意ではなかったようだ。そんな彼を「電撃戦」の立役者にしたのは、戦後回想録として書いた同名の書。英国で「戦略論」を書いたリデル=ハートとも親交があって英語版が賞賛されたことに由来するらしい。
戦争中もポーランド地主の土地・屋敷を私するなど、商才は優れた人だったようだ。戦士としての実績を文才で高めた(俗にいう盛った)のが、後世に名を遺した要因。筆者の指摘は鋭いですね。第三作はマンシュタイン将軍だそうです。期待していますよ。