今日が1世紀ぶりのパリ五輪の開会式。マクロン大統領の賭け(総選挙)は裏目に出て、フランスの政治は混迷を極めている。それでも本書(1996年発表)を読めば、パリはずっと騒乱の中に会ったことがわかる。今回の激動も、歴史にとってはただの一コマだと・・・。
カエサルのガリア平定以降、セーヌ河の中州シテ島は天然の要害。のちにフランク王国の首都となって、都市としても発展を始める。シテ島だけを巡っていた城壁は北岸も覆うようになり、続いて南岸にも広がっていった。英仏百年戦争では双方が奪い合う天王山になったし、ブルボン王朝では流血を伴う権力闘争の舞台となった。
フランス革命からナポレオンのクーデター、ルイ・フィリップの時代、ナポレオン三世の帝政などの期間に、大規模な破壊と復興を繰り返し、パリは今の形状を構成してゆく。
ナポレオン三世はセーヌ県知事オスマンに命じて、大規模な都市計画を実施させる。貧民街を取り壊し、近代的な道路網と主要な建築物を配置したのだ。最初の万国博覧会を開催し、グランパレなどの近代建築を披露した。晩年健康を害し、普仏戦争で敗れるなど評価の低い為政者だが、パリの今を造った人と言えるかもしれない。しかしその後も、パリ・コミューンの乱(1871値年)では市街地の1/3を焼失させる被害があった。
WWIでは70km手前でパリ進行を阻止されたドイツ軍だが、WWⅡでは電撃製で無血占領。1944年の撤退時にはヒトラーがパリを破壊せよと命じたものの、実行はされなかったのが幸いである。
パリの歴史をコンパクトに紹介するとともに、関連する文書や古地図、市内に点在する以降の写真が多く掲載された、パリのガイドブックのような歴史書でした。作者柘植久慶については、既に紹介している戦記物や「軍事郵便物語」のような歴史書の紹介文を参照いただきたい。外人部隊で闘ったのが真実かどうかは別として、パリ愛にあふれた人物であるのは確かです。