新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

謀略は「誠」なり(前編)

 本書は戦前・戦中の実録ものを多く遺した、畠山清行の「秘録陸軍中野学校*1」のうち1~2巻(1971年発表、エピソード60)から、ノンフィクション作家保坂正康が28エピソードを選んで編纂し文庫化したもの。

 

 謀略戦としては、日露戦争時の明石大佐のロシア国内での活動が有名だが、それ以外は目立ったものがない。その原因は徳川幕府が、政権維持のため、

 

・忍者組織を囲い込んで「御庭番」とした

・「武士道」を奨励し、諜報活動を「武士にあるまじき卑怯なふるまい」と宣伝した

 

 ことだとある。日露戦争後大きな戦争がなかった日本も、日中戦争がはじまって英米との闘いが迫った1937年に、情報勤務要員養成所準備室を設置。後の中野学校へとつなげていく。

 

        

 

 選ばれた陸軍士官は、

 

・軍服を着るのを禁じられ

・「天皇」と聞いて直立不動になるなと叱られ

・謀略は私物ではない。天下国家のために用いよ

 

 と、教えられている。規範にしたのは明石大佐が「反皇帝勢力を単に利用したのではなく、誠を尽くした」ことから、謀略は「誠」であるとの教義だった。英国は「スパイは紳士たれ」というが、それに通じるものだったかもしれない。諜報には2種類あって、機密等を護る「消極諜報」と逆に取りに行く「積極諜報」。双方に習熟することが求められた。

 

 市民として自然に暮らす訓練の他、変装、詐術、暗号、言語などのほか、掏摸のベテランや忍者の末裔を招いての実技訓練もあったという。訓練生は陸軍省に侵入し、機密書類を持ち出して見せた。また民間インフラについても、今でいうペネトレーションテストを仕掛けて、脆弱性を探ったとある。その諜報活動は国内(例えば吉田茂)にも向けられた。特務機関<ヤマ*2>とも密接な関係にあったようだ。

 

 面白かったのはWWⅡ時代の米国の諜報力。防諜はFBIができたが、諜報の方は英国の諜報網に頼りきりだったとあります。SIGINT大国ながらポカもある米国の今を思わせる主張でした。

 

*1:全6巻

*2:ゾルゲらを捕まえた特務機関 - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)