昨日の「秘録陸軍中野学校」の続編。同じく畠山清行の著作全6巻の内3~6巻124エピソードから39を保坂正康が選んで編集したもの。戦況の悪化に伴い、卒業生に求められるミッションも変わってきた。敵地に潜入して長期にゲリラ活動をする訓練も加わり、卒業生が前線に出征していった。ルバング島で戦後も戦い続けた、小野田少尉もその一人である。
エピソードの中に、まったく知らない計画があった。それは「ヒトラー亡命」。1945年1月、配色濃いドイツからヒトラー総統を救出する計画がもちあがった。陸路はもちろん空路も使えないので、潜水艦で護送することにしたとある。総統とともに秘密兵器(原爆?)の設計図も来る予定だったのだが、結局実行されることはなかった。中国の汪兆銘は日本を目指す途中で事故死したが、ビルマのバー・モー首相は日本にたどりついている。
また米軍の沖縄侵攻が迫る中、八重山諸島には一人で一個師団の価値を持つ「残地諜者」が派遣されており、住民の避難や支援物資の手配、現地の若者を指揮してのゲリラ戦も計画していたとある。現地人を利用して侵攻を促進するのも中野卒業生の仕事。緒戦の進撃期に、マレー半島では「ハリマオ」という日本人を使い、ミャンマーでは現地侠客を使った。
原本「陸軍中野学校」全6巻は、畠山清行氏が10余年をかけて取材を重ね、1971~74年に番町書房より発表したもの。個々人で行動し口の堅い中野卒業生を相手とした、粘り強い取材は困難を極めただろう。その成果を2冊にまとめた保坂正康氏にも敬意を表したい。
2冊を読み終わっての印象ですが、やはり設立準備が1937年では遅すぎました。日露戦争後に明石大佐を校長に迎え、30年掛けて要員を育成していれば、太平洋戦争でももう少しましな負け方、あるいは戦争そのものを回避できたかもしれません。