新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

7世紀、半島の大乱

 西暦663年の今日、27,000人の大軍で百済救援に向かった日本軍は、白村江で唐の水軍に敗れた。「大化の改新」で国力を増し、阿部比羅夫の蝦夷征伐で鍛えた水上戦力をもって、本格的に半島に侵攻しようとした大和朝廷は一敗地にまみれることになる。

 

 1996年発表の本書は、日本古代史が専門の遠山美都男氏が、自著「大化の改新」と「壬申の乱」をつなぐ研究として出版したもの。「白村江の戦い」については、筆者は多くの誤解があるという。代表的なものは、

 

・唐の水軍戦力が、圧倒的に上 ⇒ 戦力としては日本軍が優勢

・戦後朝廷の権威が崩壊「壬申の乱」に繋がる ⇒ 敗戦を引きずるほどではない

 

 だとのこと。戦いそのものは2日で終わり、日本軍の拙劣さが目立った。「目標は周留城救援か、唐軍撃滅かの意思統一がなかった。」というのが最大の敗因で、どこかで聞いたような話である。

 

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 本書が面白いのは、7世紀の朝鮮半島の争乱に関わった5国(新羅百済高句麗・唐・日本)の為政者の系譜から、国情が理解できること。国情が国際関係に与える影響が良く見える。

 

新羅(現在の韓国東部)

 武烈王金春秋即位の前に、2代にわたり女帝が就いた。春秋は唐で人質生活をしていて太宗・高宗に近かった。戦が巧みで、即位後急速に百済を追い詰める。

 

百済(同じく韓国西部)

 歴代戦乱に明け暮れ、戦争指揮官が為政者になっている。それゆえ戦死や不慮の死(暗殺等)も多い。義慈王は最初は新羅を攻めるなど優勢だったが、晩年酒におぼれ武烈王により攻め滅ぼされる。

 

高句麗(同じく北朝鮮

 騎馬民族国家で、かつては隋の煬帝を苦しめ、唐の太宗にとっても目の上の瘤。泉蓋蘇文のもとに強固な軍事国家として、唐・新羅連合軍のライバルとなった。百済滅亡後、泉蓋蘇文は死んで混乱状態になり滅亡する。

 

◇唐

 二代目太宗の時代に中国本土の地歩を固めるも、高句麗には手を焼く。太宗死去後も跡を継いだ高宗が国を掌握。人質として預かっていた春秋の要請で、陸軍で高句麗をけん制、水軍を派遣して百済を攻めた。

 

◆日本

 百済滅亡後、人質として預かっていた義慈王の息子豊璋を半島に戻して復興を計らせ、これを支援した。女帝斉明天皇の時代で、天皇死後も息子の中大兄皇子が遺志を継いだ。

 

 日本史でよくわからないことは、国際関係で見るべきですね。でもこの半島も、アフガニスタンのように危険な場所だと思います。