本書は以前「京都ぎらい官能編」を紹介した、NHK「いけず京都シリーズ」の案内人井上章一国際日本文化研究センター所長が、2016年の新書大賞を受賞した記念作。筆者は京都市右京区嵯峨育ちゆえ、自己紹介欄に京都市ではなく京都府出身と書くという。外部の人から見ると、嵯峨や著者の現住所宇治市は京都だが、本当の京都は洛中だけのことなのだ。
京都大学の学生(建築学)時代、洛中の町屋を訪ねて名家の主人にイジられたのが著者のトラウマ。「嵯峨育ちのくせに、京都弁もどきを使っているヤカラ」とされたわけ。東京でビジネスしていても米国資本だと「外資系」と呼ばれるように、洛中ではそこで生まれ育った人以外は「外人」なのだ。
京都人には、洛中(おそらく中心は御所)から外に同心円状に伸びる地域ランキングがある。洛中の若い女性はどこから縁談が来るかが重要で「30歳を越えて、山科から来るようになったから、私も終わり!」を叫んだという。それが、60年以上洛外で育ち暮らしている筆者には「いやらしさ」に見える。ちなみに、筆者の母校京都大学も洛外だ。
筆者によれば、嵯峨のエリアは南北朝時代、吉野に逃れた南朝の勢力圏があったところ。渡月橋の先の亀山公園は、亀山天皇の拠点だったという。今の天皇家は北朝系だが、本当の天皇家は南朝なのだ。日の丸・君が代・靖国神社も全て明治以降のもの。だから、今の天皇家には(そんなものを持って)京都に戻ってきてほしくないと筆者は言う。
明治維新は江戸では血が流れず、京都では多くの人が死んだ。維新後、東山・嵐山・鞍馬山などの寺社の所有地は1/10に削られてしまい、20世紀後半まで伝統ある寺社は荒れ果てていた。それが拝観料をとれるようになって整備され、観光資源として復活した。今や近代建築に置き換わりつつある洛中より、洛外の方が見どころがあるよと言いたいらしい。
洛中の京都人ではないゆえに、やや斜から見た京都譚ですが、確かに京都愛にあふれてますね。「ほんまは、好きな癖に」との書店のポップは正鵠を射ていると思いますよ。