新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

王政・共和制・帝政、1,200年の戦史

 2005年発表の本書は、軍事史作家柘植久慶の「ローマ帝国史」。テヴェレ河畔(*1)の小さな羊飼いの集落が、地中海全域から、西はポルトガルイングランド、東はイラク、北はオランダやモルドヴァまでを版図にする(*2)までになった。東西に分かれ、西ローマ帝国が滅ぶまでの1,200年間は戦いの日々だった。本書では、その中から63の戦いを解説している。

 

 ローマ周辺のサビニ人、ラティア人、エトルリア人がこの地に王国を作り、半島内の諸国との戦争を通じて地歩を固めていった。王政は2.5世紀ほどで終わり、共和制となって2人の執政官が交代で政治と軍事を見る体制を整えた。東のマケドニア、南のカルタゴは強敵だったし、ガリア人もアルプスを越えて襲ってきた。しかし外敵は自ら崩壊することもあり、ローマは強運に支えられて拡大していく。

 

        

 

 ヒスパニアから襲来したハンニバル軍に、15年間半島を蹂躙された危機もあった。シリアを平定したポンペイウスと、ガリアを平定したカエサルが戦ったこともあった。2人の将軍が世を去った後、帝政が始まる。

 

 ゴート族の襲来やペルシアとの闘いもあって、苦しみながら版図は広がっていく。マケドニア由来の重装歩兵と貴族階級の騎兵の組み合わせは、戦場では蛮族を圧倒出来た。しかし中心となっている、貴族や市民が少なくなっていく。今の先進国と同じ、少子高齢化問題である。皇帝にも同性愛者が何人も出て、血縁による世襲は少なくなった。皇帝が、近衛兵へのボーナスの額で選ばれることも、就任した皇帝が兵士に暗殺されることも珍しくない。

 

 大きすぎる帝国は、ミラノに首都を置く西ローマ帝国と、アンタキヤからイスタンブールに首都を移した東ローマ帝国に分かれ、東西・正副4人の皇帝が支配した。その時点で都市ローマは衰退している。フン族ヴァンダル族の襲来により西ローマ帝国が滅んで、1,200年の物語が終わった。コンパクトに読めた知らなかったローマ帝国史、面白かったです。

 

*1:原書は当時の地名で書かれているが、ここでは現在の地名・都市名に読み替えた

*2:紀元100年ころ、トラヤヌス帝の時代