本書は、昨年「寒い夫婦」を紹介した土屋隆夫の短編集。1955年に「宝石」に掲載された「傷だらけの街」以降、1975年に「別冊小説現代」に発表された「風にヒラヒラ物語」まで、8編の短編が収められている。「寒い夫婦」は比較的本格ミステリー色の濃い作品群だったが、本書は社会派ミステリーと分類できるものが多い。
長編と違い自由な発想で一気に書き上げてしまえる短編は、ある意味ミステリー作家の一番いい舞台と思われる。長編では「水も漏らさぬ推理」を組み立てる作者も、「人間が生み出す謎を、心理学者や精神科医とは違う推理作家の目で、人間の心の深奥にひそむ隠された謎を探り、それを推理小説の手法で解明する」ことも目標としていた。
巻頭作品「芥川龍之介の推理」は、相次ぐ少年少女の自殺の動機を計りかねていた警察官が、娘の愛読書である芥川の小説を開いたことで真相にたどり着くというもの。特に文学の色濃いミステリーを得意とした、作者の独壇場かもしれない。
中年の按摩女性が、地元旅館で旅人を揉み療治しながら交わす会話から、1年前に起きた迷宮入りの殺人事件を解明する「盲目物語」。大物国会議員が病に倒れた後を狙う市会議員たちの不思議な暗闘を、色っぽく描いた表題作「媚薬の旅」など、トリックや論理推理というより犯罪に堕ちていく、もしくは堕ちてしまった者たちの心の叫びを描いたものが多い。
普通なら殺人などという大罪を思いもつかない人たちが、ある特殊な脅迫観念や環境に置かれて犯行に手を染める。妻への遠慮だったり、厳格な父親の教えだったり、田舎の独特なカルチャーだったり・・・。そこに発表当時の社会的な事件や風潮をからめて、1編1編が仕上げられている。発表年次が20年も違うのに、通して読んでも違和感がありません。人間の心の謎は不変と言うことかもしれません。