新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

海賊と水軍の歴史書での検証

 2日に渡り陳舜臣「戦国海商伝」を紹介したが、今日は室町~戦国時代の海賊(含む倭寇)と水軍の歴史そのものを見ていきたい。2002年発表の本書は、国立歴史民俗博物館の宇田川武久教授の論説。まずこれらの定義だが、

 

◇水軍

 大名権力に直結した海上支配のための軍事組織。徐々に大規模化し、信長・秀吉が整備したのが最大のもの。

 

◆海賊

 海上で独立した勢力を誇示した海の武士団。広い海域に割拠している、弱小の海辺土豪を支配していた。

 

 としている。海賊として東シナ海を荒らしまわった有名なものに倭寇があって、始まりは対馬壱岐肥前筑後筑前の武士団が、朝鮮半島沿岸を襲った。鎌倉後期~室町時代のこと。その後瀬戸内の武士団も加わって、中国の沿海部を荒らすことになる。すでに日本に2度にわたって攻め寄せた元は北方に去り、時代は明になっていた。明朝の高官は「倭寇の3割が日本人、残りはそれに従う(模倣する?)大陸&半島人」と述べている。

 

        

 

 水軍の方は、戦国大名が覇を競うようになって、瀬戸内中津に発達した。来島氏や村上氏が有名で、いろいろな勢力から助力を求められていた。また大内氏の(海上)警護役だった白井氏のような例もある。内陸に所領を貰っていたが、これを毛利氏に奪われると主君に内緒で海賊行為をすることもあった。

 

 内陸国甲斐の当主だった武田信玄も、駿河や伊豆に侵攻するにあたり小規模な水軍を編成した。戦国水軍を最初に大きくしたのは毛利氏だが、織田・豊臣の経済力はそれを圧倒する技術や規模で大安宅船を作り、鉄板で防護することさえできた。豊臣家の海上司令官は小西行長で、朝鮮半島への侵攻に当たっても兵站担当の石田三成と、侵攻軍団への海上補給を行った。

 

 このころになると、海賊行為は豊臣政権が禁止し、事実上不可能になっている。小説の後、歴史書で戦国時代の推移穰戦力のことを確認できました。小説の方が読みやすいのは確かですがね。