新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

三外務大臣が重用した秘書官

 2022年発表の本書は、東京国際大学教授(国際政治・近代史)福井雄三氏の「外交官加瀬俊一の評伝」。表紙の写真は<ミズーリ>艦上の降伏文書調印式のものだが、重光外相の後ろに立つシルクハットの人物が加瀬外交官。「日本外交の主役たち」など多くの著書があるが、彼自身の評伝が無かったことに気付いた筆者が、子息英明氏の協力を得てまとめたのが本書。

 

 彼は富裕な家庭に産まれ、東京商大(現一橋大学)在学中に最年少で外交官試験の合格した逸材である。大学を中退して外務省に入ったが、秀才たちの中でも抜群の英語能力を買われて、そのままハーバード大に留学する。英語だけではなくドイツ語なども堪能で、文才にも優れていた。留学などで外国の知識を身に着けた彼は、外務省で重用される。

 

        

 

 外国情報の分析、重大な公式発表の下書きなどに才を発揮したとある。日本外交が最も危険だった太平洋戦争に至る時期に、重光葵、松岡洋祐、東郷茂徳の三外務大臣が秘書官にと乞うた。欧州に大戦の気配が漂うころ、ロンドン大使館で吉田茂大使の配下だったが、吉田が「吉田茂という名は、実は加瀬俊一のペンネームだ」とジョークを言ったほどだ。ただ吉田自身は加瀬を嫌い、戦後外相になった時に彼を退職させている。

 

 外務大臣・外務省・在外公館から見た日本の「戦争への道」に多くの紙幅が割かれている。多くは既知のことだが、松岡外相については意外な記述がある。

 

・松岡はドイツ寄りと言われているが、実は英米との関係修復を一番に考えていた

・開戦前に「松岡内閣」の可能性があったが、そうなっていたら戦争は回避できていた

 

 というもの。外交官たち(*1)は、軍部の目を掻い潜って英米や、ソ連との秘密交渉をしていた。満州国問題にしても「国際社会に理解してもらえるシナリオはあった」という。開戦・終戦の外交官秘録、少し<右寄り>かなとも思うのですが、面白く読めました。

 

*1:駐独の大島大使、駐伊の白鳥大使を除く