新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

本格ミステリーを嗤う

 本書は、先月「探偵倶楽部」を紹介した東野圭吾の短編集。1990年の「探偵倶楽部」までは「密室や暗号などの古典的な小道具が大好き、時代遅れと言われても拘る」と述べていた作者だが、1990~1995年にかけて種々の雑誌に掲載された短編は、本格ミステリーを嗤うようなものになっていた。本書はそれらの短編を集めて、1996年に出版されたものである。

 

 登場するのはもじゃもじゃ髪でフケをまき散らす天下一大五郎という名探偵と、ほぼ全編で語り手を努める警視庁警部の大河原番三。天下一は事件が起きる早々に顔を出し、わたしこと大河原警部に「素人の出番ではない」と邪険にされながらも、混迷する捜査を尻目に真相を暴き、真犯人を指名する。ただ、それは本格ミステリーを揶揄する語り口と、楽屋落ちの話題が満載という異例の仕立てによるものだ。ここに収録されている12編+αでは、

 

・密室殺人

・バラバラ殺人

・意外な犯人

・アリバイ崩し

・消えた犯人

・童謡殺人

・ダイイングメッセージ

・孤立した空間

・消えた凶器

・首無し死体

 

 といった、本格ミステリーの中核になっているトリックを個別に扱っている。

 

        

 

 大河原警部の役割は、事件を難しく見せるために見当違いの捜査をし、無理な推理を並べて読者の目を欺き、作者に紙幅を稼がせることだという。天下一が鮮やかに事件を解決しても「そんなことは分かっていた」と思いながら、「今回はしてやられた」と負け惜しみを言ってあげることも忘れてはいない。

 

 日本に特有の「二時間推理ドラマ」についても、

 

・なぜ探偵役に若い女性が起用されやすいか

・なぜ中間あたりで、美女の入浴シーンがあるか

 

 などを解き明かしていて、結構笑える。

 

 確かに本格ミステリーのトリックだけを取り出せば、本書にあるように他愛もないものである。しかしそれを、冒頭の怪奇性・中盤のサスペンス・終盤の論理的な解決という枠組みに置いて、お馴染みの探偵役を登場させればそれなりの作品になるわけだ。作者は「小道具への拘り」をもちながら、それ自身の限界も理解するようになり、こんなパロディっぽい短篇集を書いたのだろう。

 

 確かに中学生時代以来ミステリーを楽しんできた僕も、最近は本当に懐かしい作品以外の「本格」には物足りなさを感じる。「新本格」の旗手である作者の、指向の変化が感じられる短篇集でした。