新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

「天下布武」の戦い、1552~83

 2002年発表の本書は、史料に基づいた織田信長天下布武」の戦いの実録。19歳で家督を継いだ信長が、1583年の今日(6/2)本能寺に斃れるまでの合戦史である。著者の谷口克広氏は中学教師。信長研究家であり「信長の親衛隊」などの著書がある。

 

 1552年父親が亡くなり、「うつけ」と呼ばれた後継者からは親族も離反していった。叔父や弟とまで戦い、尾張半国をまとめるのに7年もかけている。しかしその間に強力な親衛隊と武士中心の軍勢を整えた信長は、2万の大軍で押し寄せた今川義元の首を獲った。2万の中には非戦闘員も混じっていて、見た目ほどの戦力差はなかったとある。

 

 以降、義父斎藤道三の仇討ちで美濃を奪うまで7年かかり、その間に使える武将も増えてきた。武器の改良にも熱心で、長槍を装備させたり鉄砲を活用して戦術的優位も確保している。兵農分離をして戦闘の専門職を増やし、楽市楽座で経済力を養った。

 

        

 

 美濃から北近江の義弟浅井長政の助けも借り、六角氏を討ち破って上洛した信長は、傀儡にしようとした将軍足利義昭と反目しながら、四方の敵とたたかう。危機の連続だったが、最も危なかったのは元亀元年(1570年)。北に朝倉と裏切った浅井と比叡山、西に本願寺、南では六角の残党や長嶋一向一揆を抱え、東から武田信玄が上洛の構えを見せていた。それから3年、幸運(*1)もあって浅井、朝倉、比叡山らを討ち滅ぼすことができた。

 

 1583年には西は岡山・鳥取、北は能登越中、南は大和・伊勢、東は甲斐・上野にいたる大帝国が完成する。4つの軍団(中国方面軍羽柴秀吉、近畿方面軍明智光秀、北陸方面軍柴田勝家関東管領滝川一益)と丹羽長秀神戸信孝池田恒興らの遊撃軍がいて、自らの親衛隊も強化されていた。

 

 大軍を率い内線の利があったとはいえ、敵は次々に現れる。信長は決して無理攻めはせず、調略や和睦を駆使した。同時に2つの強敵を迎えることはしなかった。逆に調略した武将が裏切ることもあり、危ない橋も何度か渡った。

 

 ドラマ等では省略されてしまう小さな紛争も網羅した、歴史資料として意味ある書でした。 

 

*1:武田信玄の病死、後の上杉謙信も良いタイミングで死んでくれた