革命によってドイツ帝国は倒れ、ドイツはWWⅠの敗戦国となった。政治家や将軍は表舞台を去ったが、参謀本部は残った。ワイマール共和国への移行に向けて、膨大な作業があったからである。暫定的な国軍は40万人規模と言われたが、戦勝国は10万人まで減らせと言う。そんな混乱の中、フォン・ゼークト将軍が参謀長として辣腕を振るった。
彼は後に大統領の座も狙うが、政治的軍人として、ロシアの地で戦闘機乗りや戦車兵を訓練させる一方、国内では共産党もナチス党も禁止した。しかし彼も政治闘争に敗れ、実権は国軍大臣官房長フォン・シュライヒャーの手に移る。WWⅠまではユンカー(ブルジョア)出身の参謀総長がいたが、この時期は貴族にポストを押さえられるようになっている。1933年、ついにヒトラーが政権を奪取。大統領ヒンデンブルグの死に伴い、首相と大統領職を併せた総統に就任する。この時点で参謀本部が復活した。

しかしかつての王に直結した位置ではなく、総統⇒軍務大臣⇒陸軍司令官の下の組織だった。その後軍務大臣と陸軍司令官が廃されて総統がすべてを握るが、同時にヒトラーはOKW(国防軍最高司令部)を置いてその中に個人用の幕僚部を設けた。参謀本部はないがしろにされていた。
ヒトラーは南部の出身で、プロイセン貴族やユンカーには反感を持っていた。彼らを中心とする「戦争のプロ」たちは総統を陰で「伍長」と呼び、両者の溝は深まっていく。開戦前には戦争を防ぐためあらゆる手段を考えていた。WWⅡが行き詰ってくると、彼らは本気でヒトラーを廃することを考え始める。
伝統ある組織ゆえにだが、参謀本部長以下の関心は土地にあった。貴族もユンカーも、報酬としての土地を期待していた。そのため、WWⅠ前の海軍増強に対して関心が薄く、必要な資材を英国との建艦競争に奪われた。WWⅡ前には、ゲーリングの空軍増強にも抵抗できなかった。
あくまでフリードリッヒ大王からの、陸軍幕僚組織だったわけで、戦争のプロながら時代に乗り遅れたようです。200年の軍事組織史、面白かったです。