新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

哲学者たちの太平洋戦争

 これまで日本海軍についてはさまざまな技術的、経済的な分析をした書を紹介しているが、2001年発表の本書は「思想戦」がテーマ。真珠湾攻撃の直前から、京都学派と呼ばれる哲学者たちが、

 

・日米開戦の回避

・一日も早い有利な条件での終戦

・敗戦後の処理をどうするか

 

 とテーマを変えながら議論した。終戦など唱えれば陸軍(&東条内閣)に摘発されて命も危ないテーマゆえ、すべては秘密会で行われた。それが20世紀の終わりになって、参加者の一人だった哲学者大島康正が詳細なメモを残していたことがわかり、議論の内容が明らかになった。それを読み解いた京都工芸繊維大学大橋良介教授が記したのが本書である。

 

 彼らは国内外に「思想戦」を挑もうとした。しかし米国に対しての工作は困難で、国内については、彼らの<世界史の哲学>が<皇道主義>と対峙することになる。

 

        

 

 京都学派に近い近衛文麿に彼らは期待をかけたが、近衛内閣は総辞職。<皇道主義>の東条内閣が生れる。学派の会合には、海軍省調査課長高木惣吉大佐(のち少将)が加わり、海軍の情報を彼らに与えて時局を論じさせている。大戦中は、東条内閣を打倒し海軍の米内光正を首班とする内閣に入れ替えることを策していた。第二次米内内閣のもとで、陸軍のメンツをつぶさないで、少しでも有利な終戦(講和)を考えていたのだ。

 

 会合は18回ほど行われ、中には吉野山参拝や懇親会のみの回もあった。高木大佐は初期の会合の挨拶で「戦争は責任を持つ。政治・経済・文化の議論を望む」と発言していた。中心人物の一人田辺元は「大東亜共栄圏の論理について」と題し、アジア外交の姿勢について持論を述べている。木村素衛満州・シナ視察報告もあった。鈴木成高は「対英米思想戦方策」を発表している。

 

 メモには当時会合に提出された資料(今ならパワポ)の一部も付属していました。思想研究史として貴重な資料ではありますが、哲学的でかつ難解で、素人は読み進むのが苦痛でした。