溥儀は再び皇帝に返り咲くことを夢見て、日本軍の誘いに乗った。しかし石原中佐らは、満州国を<五族協和>の共和国にしようとしていた。溥儀は元首ではあるが「執政」という役職になる。溥儀は激怒するが、とりあえずはこの案を呑んだ。石原は満州国は日本の植民地ではないので、日本人の既得権益も返納するように求めた。持ち続けたいなら満州国に国籍を移せということだ。これには大きな反発もあり、やがて石原は人事異動(の名目?)で内地に去る。
「満州事変」は表面上上手くいったが、石原の理想とは異なり、この地には食い詰めたり一旗揚げたい内地人や半島人が乱入してきた。彼らは9割の人口を占める満州の人達を嘲り、支配層としてふるまい始める。そんな中、溥儀は日本の天皇との交流を深め、ついには「満州帝国」として帝政を確立して皇帝の座に就いた。

独立国としての満州国は自前の軍隊ももつのだが、ノモンハン事変では全く役立たずに終わる。そんな事情もあり、日本が太平洋戦争に突入しても満州国は中立の立場を守った。
しかし太平洋戦争が日本に厳しい情勢になってくると、奉天などにいる日本軍にB-29の空襲もやってくる。ドイツの敗北が明らかになると、ソ満国境のソ連軍が増強されてきた。日本軍は比較的余裕のある中国戦線から師団を引き抜いて、満州国を防衛しようとするが関東軍の主力はすでに南方で撃滅されていた。ソ連参戦時の対応が記されていた。
1)在留邦人の避難誘導、不逞分子の処置、利敵物件の消滅
2)官公署の放棄離脱、満蒙系職員の解放、遊撃拠点への移動
3)離脱不能の婦女子を処置、遊撃隊のみとなって後方かく乱
ドイツ降伏から3ヵ月、ついにソ連軍がやってきて関東軍も満州帝国も瓦解した。しかし、ソ連軍は満州に居座ることなく引き揚げ(*1)、この地は再び「無主の地」に戻った。この地は、今はどうなっているのでしょうか?
*1:ポツダム宣言中、中国東北部は中国に帰するとされていたから