新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

それぞれの死出の旅

 キューバ危機のころ、僕はまだ小学生だった。「シートン動物記」がお気に入りの本で、核戦争がどういうものかの知識は無かった。米ソ両国が核のボタンを握りしめて「相互確証破壊: Mutual Assured Destruction(MAD)」へのチキンレースをしていたことは、ずいぶん後で知った。


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 今でも地球を何百回も破壊できるだけの核兵器を人類は所有していると言われるが、本書発表の1957年にはもう核兵器による人類滅亡の危惧は存在していた。核兵器が小国に拡散した結果、最初に民族紛争ゆえだろうアルバニアナポリを核攻撃したことから北半球で核兵器の応酬が発生する。次にテルアビブが消え、エジプトの関与を疑った米英が偵察機を出すと、これに反発したエジプトがソ連製の爆撃機(赤い星付)でワシントンDCとロンドンを空爆、両国はソ連を攻撃して、あとはバトルロワイヤルとなった。
 
 北半球では4,700発の核爆弾が炸裂、大気が放射能汚染されて生物は死に絶えた。タワーズ艦長の原潜スコーピオンはメルボルンに避難し、リオデジャネイロに逃れた原潜ソードフィッシュと2隻だけの米軍になってしまう。
 
 オーストラリア海軍の連絡将校ホームズ少佐を乗せたスコーピオンは、ポートモレスビーへの偵察行に出るが、もうそこは死の街になっていた。北半球から汚染された空気が徐々に南下してきているのである。罪のない南半球の人たちにも、着実な死は迫っていた。「死線」が最南端の大都市メルボルンに至る数カ月を、作者の死生観で描いたのが本書である。
 
 子供を産んだばかりのホームズ少佐の妻メアリーは、何年後に咲くだろうかと言いながら娘のために好きな樹木を植える。科学者オズボーンは自分でレストアしたフェラーリを駆って危険な自動車レースにのめり込む。オズボーンの伯父サー・フロウドは、アルコールが放射能障害を弱めると言って、ため込んだ極上のポートワインをあおり続ける。
 
 ケアンズブリスベーンリオデジャネイロケープタウンシドニーの順で連絡が取れなくなり、ついにメルボルンでも放射能障害の患者が出始める。しかし市民は暴動などは起こさないで、それぞれの死出の旅に出ることになる。この数カ月間に凝縮された静かなサスペンスは、他に類を見ない。
 
 高校生の時に読んで衝撃を受けた書だ。金委員長含め世界の国の指導者は、一度は読んで欲しいものと思う。物語に出てくる街についてある程度知識の出来た今読み直してみて、より実感がわきいてきた。多くの市民は自分の街を離れることなく死んでいく。僕ならどんどん南へ逃げて、南極へ行く手はないのかとあがくと思うのですが、これはキリスト教の教えなのでしょうか?

情報・分析は正しかったが

 薦めてくれる人があって、今話題のこの本を読んで見た。この種の本としては「失敗の本質」という名著があるが、新進気鋭の経済学者の歴史探求ということで興味深く読み始めた。猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」というのも以前読んだことがあり、総力戦研究所のシミュレーションが「必ず敗れる」となっていたにもかかわらず日本が無謀な英米戦に突入したのは、この判断が手遅れだったからだと思っていた。


 しかし本書にいう「秋丸機関」は、1940年(昭和15年)には設立され翌1941年初頭には英米戦に勝ち目なしの結論を出していた。この機関に集められた経済学者などは、正しい情報を正しく分析してこの結論を出していた。にもかかわらず、報告書は握りつぶされて関係資料は焼却されてしまう。これには複数機関の多くの人々の思惑が絡んでいた。

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 まず政府(軍部)は、モスクワに迫っているドイツ軍に呼応してシベリアのソ連軍を駆逐する「北進論」と、ドイツに降伏したフランス・オランダ等のアジア植民地であるインドシナインドネシアに進駐する「南進論」に分かれていた。北進してソ連を降伏させることができればいいが、シベリアをとったところで資源があるわけではなく石油不足は解消されない。南進して資源地帯を確保すれば、石油は何とかなるかもしれないが、英米が黙っているはずは無い。「秋丸レポート」は両者の思惑によって、ある意味勝手に利用されてしまったらしい。

 次に、10倍から20倍の国力を持つアメリカと戦って勝てるとは、外見は威勢のいい陸軍等の軍人も本気では思っていなかったと本書は言う。つまり「秋丸レポート」は、だれでも知っていることを後追いで数字を持って証明しただけのものだったということである。ゆえにレポートは「国策に反する」として葬られてしまったのだ。本件を指揮した秋丸次朗主計中佐は、1942年に任を解かれてニューギニアへ赴任する。激戦地ではあったが、生き残られたのは僥倖であったと思う。

 本書のテーマは「正確な情報がなぜ不合理な意思決定につながったか」なのだが、それについて後年秋丸氏自身が回想している。「研究機関の活動はなんら寄与することなく悲劇を招いた。1939年には陸軍は南進策を固めていて、その後に泥縄式の研究が行われても意味が無かった」とし、「たとえ専守防衛であっても常時(戦争に関する)準備の機関を常設すべき」と述べている。この教訓、世情不安になっている今、我々はどう受け止めるべきでしょうか?

ドーバー海峡を越えていたら

 僕がシミュレーション・ウォーゲームを好きなのは、そしてSFゲームやファンタジーゲームを好まないのは、歴史のIF「あの時こうしていたら・・・」を自分の手でやってみることができるからだ。例えば、アリューシャンのような支作戦に「龍驤」「隼鷹」を割かずにミッドウェイ攻略に加えていたら・・・というような話。

 

 本書は第二次欧州大戦の初期、大陸をナチスドイツが支配しソ連アメリカが中立だったので、ひとりイギリスだけがドイツに抵抗していたころの物語である。映画「ダンケルク」にもあったように、イギリスの大陸派遣軍はダンケルク付近から命からがら故国に逃げ帰ってきた。大砲や戦車などの重装備はもちろん、小銃や鉄兜まで大陸に残しての逃亡のようなものだった。

 

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 イギリス首相チャーチルは、正規軍のほかに予備役の招集などで「国防市民軍」47万人の編成を終えていたが、彼らに持たせるべき小銃は10万丁しかないありさまだった。したがってフランスを席巻したドイツ装甲師団が十分な兵站を伴って上陸してきたら、女王一家はスコットランドなりに逃れ、チャーチル自身はロンドン塔で絞首刑になることを覚悟せざるを得ない情勢だった。

 

 本書は1940年9月にドイツ軍がイギリス本土に上陸作戦を敢行したらというIFを、当時の両国の作戦計画に基づいた兵棋演習をした結果で書かれたものである。同年5月にフランスを降伏させたヒトラーは、イギリスもじきに講和に応じると考えていたらしい。上陸作戦は何度も決行される日を延期され、史実では実施されることはなかった。

 

 上陸したら無敵かもしれないドイツ軍だが、狭いとはいえ海峡をわたって兵員・装備・車両・兵站を送らなくてはならない。そこに航空戦力や海上戦力が襲ってきたらこれらは全て海の底に沈んでしまう。航空戦力ではやや優勢だったドイツ軍も、海上戦力となるとまともな海戦などできないほど脆弱だった。

 

 それでも航空優勢のもと空挺部隊が降り、Uボートらがイギリス海軍を遠ざけているうちに第一波が上陸を果たす。イギリス側は、ヒースフィールド・アシュフォード・カンタベリーを結ぶ線をウィンストンラインと名付けて防衛戦を展開するのだが・・・。

 

 シミュレーションの結果はともかく、昔ウォーゲームを夜を徹してやっていたころを思い出させる書だった。あのころ、エウロパシリーズという全欧州をカバーするマップ(6畳間では広げきれない)をにらんでいたよな・・・と懐かしかったです。

不思議な遺言状の波紋

 ドロシー・セイヤーズのピーター・ウィムジー卿シリーズの第四作が本書(1928年発表)。表紙にカードの絵があるように、コントラクトブリッジの用語が全編の小見出しに使われる趣向になっている。

 

 ・ピーター卿、切り札を刈る (刈る:相手の切り札を使い切らせること)

 ・切り札はシャベル (スペードは、元々シャベルをかたどったもの)

 ・ピーター卿、ダミーに回る (ダミー:手札をさらして相棒にゆだねる役割)

 

 の調子で、真犯人が暴かれる章(開かれた札)まで続く。これはピーター卿と真犯人のゲームを表しながら、舞台となったベローナクラブの遊戯にも掛けているわけだ。

 

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 ベローナクラブは、それほど裕福でもない人たちも集まってくる社交場。高齢の退役軍人たちも多くやってきて、日がな一日を過ごしてゆく。第一次世界大戦でピーター卿の占有だったジョージ・フェンティマン退役大尉はずっと座り込んでいる老人たちを揶揄して「おーい、あの爺さん下げてくれ。2日前から死んでるんだ」と言っていた。

 

 ところがある日、自らの祖父であるフェンティマン将軍が座ったまま死んでいるのが発見される。さらに将軍の妹レディ・フェリシティも同じ日に亡くなっていたことがわかる。その数日後、フェンティマン家の弁護士からピーター卿は不思議な依頼を受けることになる。レディ・フェリシティは資産家で兄よりずっと裕福だった。兄とその孫たち以外に血族はいないのだが養女のように可愛がっている娘がいて、

 

 ・自分が兄より先に死んだら、自分の遺産は兄とその孫たちに遺す。

 ・兄が自分より先に死んだら、自分の遺産はその娘に遺す。

 

 という風変わりな遺言を残した。レディの死亡時刻はわかっているが将軍の方がわからないので、それを調べてくれとの依頼。戦友ジョージのためにもと引き受けたピーター卿だったが、次々と起こる奇妙な事態に振り回される。

 

 ミステリーとしてより、当時のイギリスのアッパーミドル社会の内幕が描かれていてとても面白い。ピーター卿自身は富豪だが、ジョージなどはPTSDで定職に就けず妻の収入が頼り。それでも(見栄で?)クラブには顔を出す。外ではロマネ・コンティをふるまうピーター卿も、ひとりのディナーではリープフラウミルヒ(マドンナ)を呑んで寝る。謎を追うよりワインリストに目が行くようでは、僕もヤキが回ったかもしれません。

ヘイスティングズ大尉の恋

 ミステリーの女王アガサ・クリスティーの長編第3作が本書。1920年に「スタイルズ荘の怪事件」で、ベルギーからの亡命者ポアロ探偵を登場させた彼女だったが、第2作「秘密機関」では冒険好きな若い二人トミー&タペンス・ベリフォードを主人公にした。察するにクリスティーが描きたかったのは、若い二人の冒険譚だったのだろう。しかし、デビュー作は商業受けする本格ミステリーにせざるを得なかったのではないか。


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 例えば後年、洞窟の冒険が大好きのアンドリュー・ガーヴもデビューは本格サスペンス「ヒルダよ眠れ」だった。クリスティーの場合も大家であるイーデン・フィルポッツの指導を受けたというから、その結果おかしな英語を話すカリカチュア化された名探偵ポアロを生み出したのかもしれない。
 
 ここからは僕の推測にすぎないが、「スタイルズ荘の怪事件」はそこそこ売れたのに、「秘密機関」はそれに及ばなかった。そこで1923年本書で再びポアロを登場させたのではないか。というのは、命の危険から助けを求める手紙を受け取ったポアロがワトソン役のヘイスティングス大尉を連れてフランスに渡ると、依頼人はすでに殺されていた。パリの若手名探偵ジローとポアロが推理の競演をする・・・というシナリオ自身が読者受けを狙ったものとしか思えないからだ。
 
 さらにサーカスの娘に恋をしてしまったヘイスティングス大尉が、あろうことか捜査妨害行為を(しかもフランスで)してしまい、事件の混迷を深めてしまう。そのサーカスの娘のほかにも、魅力的な美女(含む美魔女)が何人も登場するなど、謎解きのメインストーリーとは別に「こう書いたら受けるだろうな」という作者の思いが感じられるのだ。
 
 長編第6作「アクロイド殺害事件」でセンセーションを巻き起こして以降の彼女の作品群は、女王の名にふさわしいものだ。しかしそれ以前の何作かはデビュー作を除いて印象が薄く本書も若いころ読んだ記憶はない。本書は、女王になる前の「習作」だったように思います。