新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

情報・分析は正しかったが

 薦めてくれる人があって、今話題のこの本を読んで見た。この種の本としては「失敗の本質」という名著があるが、新進気鋭の経済学者の歴史探求ということで興味深く読み始めた。猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」というのも以前読んだことがあり、総力戦研究所のシミュレーションが「必ず敗れる」となっていたにもかかわらず日本が無謀な英米戦に突入したのは、この判断が手遅れだったからだと思っていた。


 しかし本書にいう「秋丸機関」は、1940年(昭和15年)には設立され翌1941年初頭には英米戦に勝ち目なしの結論を出していた。この機関に集められた経済学者などは、正しい情報を正しく分析してこの結論を出していた。にもかかわらず、報告書は握りつぶされて関係資料は焼却されてしまう。これには複数機関の多くの人々の思惑が絡んでいた。

        f:id:nicky-akira:20190504143054p:plain


 まず政府(軍部)は、モスクワに迫っているドイツ軍に呼応してシベリアのソ連軍を駆逐する「北進論」と、ドイツに降伏したフランス・オランダ等のアジア植民地であるインドシナインドネシアに進駐する「南進論」に分かれていた。北進してソ連を降伏させることができればいいが、シベリアをとったところで資源があるわけではなく石油不足は解消されない。南進して資源地帯を確保すれば、石油は何とかなるかもしれないが、英米が黙っているはずは無い。「秋丸レポート」は両者の思惑によって、ある意味勝手に利用されてしまったらしい。

 次に、10倍から20倍の国力を持つアメリカと戦って勝てるとは、外見は威勢のいい陸軍等の軍人も本気では思っていなかったと本書は言う。つまり「秋丸レポート」は、だれでも知っていることを後追いで数字を持って証明しただけのものだったということである。ゆえにレポートは「国策に反する」として葬られてしまったのだ。本件を指揮した秋丸次朗主計中佐は、1942年に任を解かれてニューギニアへ赴任する。激戦地ではあったが、生き残られたのは僥倖であったと思う。

 本書のテーマは「正確な情報がなぜ不合理な意思決定につながったか」なのだが、それについて後年秋丸氏自身が回想している。「研究機関の活動はなんら寄与することなく悲劇を招いた。1939年には陸軍は南進策を固めていて、その後に泥縄式の研究が行われても意味が無かった」とし、「たとえ専守防衛であっても常時(戦争に関する)準備の機関を常設すべき」と述べている。この教訓、世情不安になっている今、我々はどう受け止めるべきでしょうか?