新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

中国で王朝が滅びる時

 「国家安全法」が施行されることになって、香港の自治は風前の灯になった。香港は英国が1997年まで租借、共産主義中国が自由社会に開いた数少ない窓だった。返還後も50年間は「一国二制度」で自由市場であるはずだったのが、今その歴史を終わろうとしている。そもそも何故香港が英国の支配下に置かれることになったか、その直接原因が本書で取り上げている「アヘン戦争」である。著者はミステリー作品も多い、在日中国人の陳舜臣

 

 アヘン戦争は、中国清朝道光帝の時代に起きた。その前の皇帝乾隆帝は栄華を極めた人で、なんと90歳近くまで生きた。中国国内に無いものはなく、財物にあふれた時代だった。だから当時の中国には、貿易という概念がない。百歩譲って朝貢貿易で、夷人が中国を敬って平身低頭貢物をしてくるのだから、可愛い奴だと恵んでやるというスタイル。

 

 英国はインドからシンガポールを経て中国への通商路を開いたのだが、欲しいのは紅茶。これは当時中国でしか作れなかった。茶の輸入の代わりに輸出するものがないので、英国商人はインドで生産するアヘンを中国に買わせることを企んだ。

 

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 中国も、決してアヘンを喜んで買ったわけではない。輸入禁止は早々に発令されたし、取り締まりも行った。それでも、密輸でどんどん入ってくる。それまで輸出超過だった中国では、逆に輸入超過で銀資本が流出し国内経済も傷んでくる。禁輸ができなかった原因は、官吏の堕落にある。賄賂を貰えば大抵の事は許したらしい。そもそも乾隆帝の死後、ある側近の不正蓄財は国家年収の10倍に及んだという。官僚TOPがこれでは、末端が不正をしてもやむを得ない面がある。

 

 どんどん悪化する状況に立ち上がった正義派の官吏林則徐が、香港に出向いて英国側と協議するのだが埒があかず。皇帝の命令でアヘンを没収、破棄したことで戦端が開かれた。科学技術では200年以上遅れている中国は、英国の主力艦隊が到着すると敵することは不可能になった。香港割譲などの条件で降伏する。ある程度知っていた歴史だが、あらためて読むと中国の王朝がどうして斃れるかがわかる。

 

・固定された身分制度、硬直した官僚機構

・上から下までの官吏の腐敗

・忍耐強い民衆も、最後にはキレる

 

 という次第。習大人がどうして「国家安全法」をゴリ押ししているか分かるように思います。注視すべきは中央・地方の官吏の腐敗度ですね。

「市川監督渾身の一作」の原作

 横溝正史金田一耕助シリーズは、巨匠市川崑監督によって多くの作品が映画化された。監督はいくつかの大作を発表した後、「女王蜂」で大きな挑戦をした。それは、前3作に起用した大物女優をすべて出演させるということ。

 

犬神家の一族」 高峰三枝子

悪魔の手毬唄」 岸恵子

「獄門島」 司葉子

 

 この3人の大女優は他の作品で共演したことはなく、市川監督でなければ集められなかったと言われる。それゆえ原作からは登場人物が1/3ほど入れ替えられているが、ミステリーとしては当然だが大筋は変えられていない。中心人物で絶世の美女大道寺智子は、佐多啓二の遺児である中井貴恵が演じた。

 

 なぜ映画の話から始めたかというと、「Stay Home Week」以来久しぶりにBS映画を録画して見始めたから。その中に「女王蜂」があった。本書も本棚にあり、読んでから見るか、見てから読むかを迷った末、前者を選んだからだ。

 

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 横溝作品の多くは岡山県が舞台になるのだが、本書では伊豆の国。下田から船で行く架空の島「月琴島」には、源頼朝の血筋を引く大道寺家が住んでいた。大道寺智子はその次代の当主である。すでに両親はなく、祖母と2人で何人かの使用人に囲まれて暮らしている。18歳になると義父が住んでいる東京に出ることになっているのだが、

 

 「あの娘を呼び寄せるな、多くの血が流れる。彼女は女王蜂だ」

 

 との警告文が届く。智子が生まれる前に父親が不慮の死を遂げた事件が背景にあり、依頼を受けた金田一耕助は智子を迎えに行く使者の役割を引き受ける。

 

 当時(1951年)は、下田~伊東間の伊豆急線は開業しておらず、一行は下田に上陸した後修善寺までハイヤー天城越えして移動する。投宿した修善寺の温泉宿で、さっそく2件の殺人事件が・・・。修善寺から逃走した不審な男は、タクシーで熱海のある別荘に乗り付けたことがわかる。その別荘の持ち主を聞いて、金田一は事件の奥深さを知る。

 

 作者の最高傑作は「獄門島」だと言われ、市川監督はその次作に本書を選んだ。怪奇趣味はほどほどに抑えられ、頼朝公はじめ高貴な人たちの名前がちらつく物語だ。トリックや意外な犯人も十分、ということで監督は本書を「渾身の一作」の原作に選んだのだろう。さて、それでは今度は映画の方を拝見しましょうかね。

 

 

弁護士・探偵そして精神科医

 本書は正統派ハードボイルド作家、、ロス・マクドナルドの後期の作品(1969年発表)。大家だと思っていた作者だが、リュー・アーチャーものを18編、その他を6編しか発表していない。1949年「動く標的」でデビューした作者とアーチャー探偵、以前紹介した「ウィチャリー家の女」をはじめ、「人の死に行く道」「さむけ」などの名作で知られている。しかしこれは後年の評判であって、作家としての地位を不動にしたのは本書の発表前後だったようだ。

 

 本書のレビュー記事が、ニューヨークタイムズ・ブックレビューの第一面を飾ったのだ。これは権威あるレビューで、これまで探偵小説が一面に位置したことはなかった。当然ベストセラーになり、その後の作品「地中の男」「眠れる美女」「ブルー・ハンマー」は大変売れた。しかし作者はその3作を書き上げて亡くなる。

 

 僕自身は初期の作品も面白いと思っていたので、本書の解説にある「ベストセラー作家誕生となった作品」との言葉には違和感をもった。まあ、画家などは生きているうちは作品の値段は上がらないということもあるから、晩年にでも売れたのなら良しとすべきかもしれない。

 

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 さて本書だが「その心は深い悲しみに満ち溢れている」アーチャー探偵のところに弁護士トラットウェルから「依頼人チャーマーズ家から持ち去られた金の函を探し、取り返す」という依頼が入る。トラットウェル・チャーマーズ両家は先々代からの付き合いでいずれも法曹界の重鎮の家系、両家の息子と娘は婚約中でもある。

 

 チャーマーズ家の息子ニックは大学卒業を控えているが、失踪経験もあり精神が不安定だ。金の函を盗んだのはニックかもしれないと考えた両家は、警察沙汰にせず私立探偵を雇ったわけだ。アーチャーは難なく金の函のありかを突き止めるのだが、その後関係者が撃たれるなどの事件が頻発する。カギを握るニックは、長い付き合い精神科医が保護していてアーチャーは会わせてもらえない。弁護士・探偵・医師のすべてが守秘義務を持っていて、警察はニック周りの情報を得られず事件は膠着する。

 

 登場する家庭はすべて不幸を背負い、壊れている。元銀行家で横領によって破綻した老人やその娘の生態は悲惨だし、複雑な家庭事情が全編を覆う。そんな中を「孤高の騎士」アーチャーが事件の真相に迫るお話、さすがに面白かったです。でも、初期の作品からそんなに変わったとは思えませんけどね。 

民は官より尊し

 僕は、電力会社一家で育った。親父は東邦電力(今の中部電力)入社で、職場結婚だった。伯父もいとこ達2人も中部電力社員である。親父はまだJRが国鉄だったころ、

 

「電力がなければ電車は動かん。しかし鉄道が国有で、電力は民営だ」

 

 と言っていた。なぞかけのような言葉だが、答えは本書にあった。松永安左エ門は95歳で大往生を遂げるまでに、波乱の人生を送った人。慶應を出て商社と日銀にちょっと勤めただけで、あとは会社を作ったり潰したり、時には国会議員もした。その中で、彼の事業はエネルギーに収斂されていく。

 

 ワンマンで頑固な典型的な「明治人」、灯りの需要中心の「電灯会社」が動力を含めた「電力会社」になる流れを見抜き、推進した人である。東邦電力の社長をを経て、日本に多くのエネルギー産業を育てた。2・26事件以降政府(軍部)が電力業界を支配した時期に引退したのだが、戦後「電力事業再編成審議会」で会長を務めている。

 

 多くの委員が電力供給をする国営の「日本発送電」を残し、全国9つの電力会社はその販売を担当する10社案に固執する中、一人で「日本発送電」を解体して9電力会社体制とするよう尽力している。この時、すでに70歳代半ば。

 

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 9電力とするだけではなく、戦後復興~電力需要急増を考え、当面電力料金を値上げして設備投資に回し、10~20年後の経済を支えることを主張した。当然消費者(特に主婦連)から猛攻を受け、政府に働きかけて私腹を肥やす大悪人呼ばわりされた。しかしそれらに屈することなく9電力体制、料金値上げを実現してからも、(財)電力中央研究所を設立して理事長になり、民間シンクタンクのはしりである「産業計画会議」も設立した。曰く、

 

・産業は民間の発奮努力が不可欠、官庁に依存するのは間違い

・政界はあまりにも非効率、実業家の感覚では我慢できない

 

 と「民は官より尊し」と主張し続けた。また人生は奥が深いと、

 

・人間、働き盛りは73歳からだ

・常に人生の白書を描く、20歳には20歳の、90歳なら90歳の白書を

 

 のような人生100年時代を先取りした発言もある。シンクタンクの提言は、エネルギー源の転換・脱税なき税制・道路体系整備・国鉄改革・専売制度廃止から水問題と多岐にわたる。すごい人がいたものだと、改めて感じ入りました。挙げられた日本&産業界の課題は今でも存在しています。僕もまだしばらくは働きたいと思います。

バラクラヴァ農業大学の悲劇

 以前紹介した、シャーロット・マクラウドのシャンディ教授ものの第二作が本書。前作「にぎやかな眠り」で同僚のエイムズ教授の奥さんが殺された事件を解決したばかりか、シャンディ教授は50歳代半ばを過ぎて人生の伴侶ヘレンと結ばれる。幸せいっぱいの教授夫妻だが、悩みがないわけではない。

 

 隣家のエイムズ教授宅には、亡くなった奥さんを上回る女丈夫の家政婦が棲み付き、漂白剤を振りまいている。なじみの装蹄師マーサのところでは、縁起が悪いとされるΩ形に蹄鉄が下げられているのを見て、いやな予感に襲われる。予感通り、夫妻は貴金属店での強盗事件に巻き込まれヘレンが一時期人質になってしまったり、友人のストット教授が丹精して育てた妊娠中の雌豚ベリンダが誘拐され、あとにはマーサの死体が残されていた。その事件以降、学長の愛娘がわけも言わず自室で泣き暮らすようになってしまった。

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 時はおりしも、他大学と競う馬の競技会が迫っている。本命とみられているバラクラヴァ農業大学に降りかかる不幸の連続に、学長夫妻はシャンディ教授に事件解決を依頼(・・・というか命令)する。そこで前作同様「いやいや探偵」をはじめる教授だが、捜査のプロセスよりは農業大学の日々の暮らしの方が、本書はよほど面白い。

 

 作物や家畜というごまかしの効かないもの相手にする農学部という特性からか、学生も教官もマジメでまっすぐな人が多い。畜産学部長ストットン教授は品種改良したベリンダを実の娘のように可愛がっていて、誘拐されて気も狂わんばかり。貴金属店強盗の手配がされている中で、ベリンダが遠くまで運ばれるはずはないと学生たちもチームを作って「山狩り」をする。

 

 しかし農業大学の悲劇は終わらず、競技に使う馬車も何者かに壊されてしまう。マーサの甥フランクが先頭に立って競技までに馬車を修理しようとするのだが・・・。最後の50ページでシャンディ教授は警察と組んで鮮やかな解決を見せる。それでも(繰り返しになるが)、マサチューセッツの田舎の農業大学の日々のほうが面白い、変わったミステリーではあります。