新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

「徴員」という不思議な身分

 東郷艦隊がバルチック艦隊を破った20世紀初頭、戦闘艦のエネルギー源は石炭だった。その後石油が動力源として台頭したが、日本列島は石炭は産しても石油はほとんどない。満州事変から大陸での戦線が拡大してゆくにつれ、日本政府(軍)は戦争には石油が必要であることを痛感することになる。しかしその90%以上を輸入に頼っているうえ、その80%を米国から輸入しているわけだから、進退窮まったわけだ。

 

 フランスがドイツに敗れ、空白となったインドシナに進出したことで米国が石油の全面禁輸に踏み切り、座して死を待つかイチかバチか戦うかを迫られることになる。米国相手に戦うとすれば、どうしても占領したいのがジャワ島のパレンバン。指折りの産出量を誇る油田を背後に控えた精油・備蓄基地だ。宗主国のオランダもすでにドイツに降伏しているので、現地の守備兵力を蹴散らしてしまえば手に入るかもしれない。

 

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 そこで陸軍特殊部隊である空挺隊が、パレンバンを奇襲し備蓄や関連設備を破壊させずに占領する難事を成し遂げる。このいきさつは映画化もされ、軍歌「空の神兵」は国民の愛唱歌になった。しかし占領しただけでは、石油は作れない。そこで登場するのが「徴兵」ではなく「徴員」として集められた石油関連の民間技術者チームである。本書はその編成から終戦までを描いていて、後年日本経済を支えることになる民間技術者・経営者の活躍を記したものだ。

 

 国家総動員令により軍が必要な人材を民間から引き抜けるようになっていたのが背景だが、徴兵(赤紙)と違い「白紙」によって招集されるのだ。チームのリーダー格には「大尉相当」の指揮権が与えられる(そうしないと石油ができない)のだが、知識の不十分は下級軍人などは、「相当は相当だ」として面従腹背、もしくはあからさまに反発してくる。石油技術者たちにとっては、米国などの連合軍より日本軍の方に手を焼いた面もあった。

 

 彼らの努力で、パレンバンから本土に石油タンカーが送られるようになるのだが、やがて連合軍の通商破壊戦でタンカーがやられるようになると、パレンバンには石油があふれるようになってしまう。内地では「石油の一滴は、血の一滴」なのに、ここでは無為に燃やす羽目に・・・。

 

 それから75年、再び戦争の足音が聞こえる時代になった。そのころよりもっと、軍と民間との違いがわからなくなっている。民間のハッカーは、敵国のインフラを止める究極の兵器になるかもしれない時代である。軍と民間の連携をスムーズにするためのヒントがここにはあるようです。

NOと言わせる日本

 このところ国際情勢がとてもキナ臭くなってきて、ひょっとすると第三次世界大戦でも起きないかと心配の日々である。一昨日「海洋国家日本」を目指すためのヒントを軍事評論家の書で紹介したが、憲法9条改正にしても敵基地攻撃能力にしても一朝一夕で出来るものではない。本書のタイトルにあるように「国家の命運」を握っているのは、

 

・軍事力

・経済力

・外交力

 

 だと思う。本書には、その最後のもの「外交力」を高めるヒントが詰まっている。著者は民主党政権時代に外務事務次官を務めた人で、最近はTVのニュース番組でも解説をしておられる。40年以上外務省勤務だったのだが、外務省にもいろいろな仕事(情報収集・経済協力・邦人保護・条約の精査・広報等)があるのに、ずっと外交交渉ばかりしてきたという。交渉のコツが紹介してあって、

 

1)ウソをつかず、欺かない。

2)必要なこととある程度融通の利くことに、目標の優先順位を分ける。

3)実現できないこと、譲れないことははっきりそう伝える。

 

 なのだそうだ。これはビジネス交渉でも全く同じことだ。

 

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 外交交渉というと、日米貿易摩擦が日本人には思い出される。「NOと言える日本」という書を生んだように、日本側が譲歩ばかりしていたと庶民は思っている。しかし、その時日本側が米国に要求したことが書いてあって、

 

1)市民の貯蓄不足

2)企業の投資が怠慢

3)企業の行動が近視眼的

4)国際貿易を阻害する政府規制

5)研究・開発努力の不足

6)輸出振興努力の不足

7)労働力の訓練不足

 

 によって、日米間の貿易不均衡が生まれているとの主張だ。30年は前の話だが、このほとんどは今の日本社会/日本企業に当てはまるような気がして、ちょっと悩んだ。米国病と当時言われたが、今は「日本病」になっているのではなかろうか?

 

 本書は数多くの事例をもって、オフェンシブな外交をしなくてはならないし、著者はそうしてきたと説明している。もちろん交渉は100対0になることなどなく、51対49でも勝ちは勝ち。外交の世界では日本も専守防衛ではないということ。日本から要求を突き付けて相手に一旦「NO」と言わせるくらいでないといけない。そのためには外交官だけでなく、日本社会全体が研鑽を積む必要がある。

 

 デジタル通商で、僕自身も中国に「Free Flows of DATA」を突き付け「NO」と言わせた事があります。これからの交渉に向けて、本書は勉強になりました。

2人の画家とNシステム

 日本のミステリーの特徴のひとつ「トラベル・ミステリー」、このような英語はなく日本での造語である。レギュラー探偵が日本の地方に関わる殺人事件を解決しようと、列車や飛行機、高速道路、連絡船などを駆使して駆け回るのが特徴だ。もちろんその地方の美しさを物語の中にちりばめ、読者の旅への想いを掻き立てることも忘れない。この形態のミステリーが隆盛になったのにはいくつか理由がある。

 

・アリバイ崩しというジャンルに長けた作家たち

・日本中に網を張り正確に運行する公共交通機関

・国土に様々な地形や旅情、風習、名所などがあること

・TVドラマの2時間スペシャルとして視聴率が取れること

 

 本書は、深谷忠記の「壮&美緒シリーズ」の中期の作品。無口な数学者黒江壮とその婚約者でおしゃべりな雑誌編集者美緒が、警視庁の勝部長刑事らを助けて事件を解決する物語である。

 

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 その勝刑事は53歳、物語は彼が高校卒業以来最初の同窓会に出掛けるシーンから始まる。あまり親しくなかった同窓生だが、娘を自殺で亡くし自分も病気で自殺未遂、会社も辞めたという男と妙に長く話すことになってしまった。一方壮も珍しく同窓会に参加、こちらは先ごろパリから帰国し「東洋のピカソ」ともてはやされた画家と出会う。

 

 その画家が後日成城のアパートの駐車場の車内で刺殺され、容疑者として勝の同窓生の名前が挙がった。自殺した娘は、画家に暴行されて死んだらしい。娘の婚約者も画家で、婚約者か父親のどちらかが犯人と警察は考える。

 

 殺された画家は軽井沢のアトリエを自分の車で出ている。勝の同窓生は渋川の自宅にいて、婚約者は松本にいたとアリバイを主張する。しかし殺された画家の周辺から盗聴器が発見されて・・・。盗聴システムや高速道路の自動車監視システム「Nシステム」などが登場し、トリックを支えている。従ってマニアにはアリバイ崩しはそう難しくはない。

 

 アリバイ崩しものとしては「浦上伸介&美保シリーズ」の方が面白いと思う僕だが、こちらの方が地方の旅情を描く点では一枚も二枚も上。本書でも「懐古園」や千曲川の風情を藤村藤村の詩を引用して、美しく書き込んである。

 

 先日作者の歴史もの(といっても1945年だが)を紹介したが、作者の時間と空間を行き来する感性は、非常に優れたものだと思う。旅情の美しい「トラベル・ミステリー」という意味では、一番面白いシリーズかもしれません。

 

海洋国家日本の再出発

 著者松村劭は元陸将補、在日米軍との共同作戦計画にも関わる一方、防衛研究所研究員も務め、英米の軍事研究機関との付き合いも深かった人だ。2010年に亡くなるのだが、35冊ほどの著作があり僕はその半分程度は読ませてもらった。陸自の人だが、海洋関係の著作が多い印象である。本書もそのひとつ、対馬海峡の歴史をたどりながら日本が半島とその後ろにある大陸とどう付き合うべきかを考えさせる書になっている。

 

 冒頭2002年の半島情勢が取り上げられているが、

 

米国:ブッシュ(子)政権

日本:小泉政権

韓国:盧泰愚政権

北朝鮮金正日政権

 

 だったのだが、今と変わらないことが多いのに驚かされる。つまり、

 

・米国は北朝鮮をどうしたいのか、韓国・日本の意思を確かめようとしている。

・日本の拉致問題は、北朝鮮が交渉に応じなければ打つ手(軍事力行使)がない。

・韓国は「血は水よりも濃い」として、米軍はいるが心は親北朝鮮。

北朝鮮核武装を宣言して、威嚇ばかりしている。

 

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 著者は、任那防衛戦、蒙古襲来、倭寇、秀吉の朝鮮出兵、日清・日露戦争から朝鮮戦争までを概括し、対馬海峡が非常に大きな意味を持つ場所であることを示す。この長い歴史の中で、普通は海洋国家と思われている日本が、本当にそうだった時期は短いと言う。今も、実は海洋国家ではないのだそうだ。もちろん大陸国家でもないわけだから、日本国は国際社会の重要な一員にはなっていないと言っているようにも思える。

 

 「海洋国家の防衛線は、海峡ではなく対岸の港湾のその背後にある」というのが常識。だから英国はベネルクス三国にナポレオンやヒトラーが侵攻すると怒るのだ。日本が海洋国家でありたいなら、釜山を影響下に置きその背後に軍事力を伴う防衛線を引けなくてはいけないと読むこともできる。現に、任那というのはそういう「国」だった。

 

 半島については先日呉善花韓国併合への道」を紹介したが、そこにもあったように李氏朝鮮は「軍事嫌悪症」だったと本書にもある。軍人の地位は低く、英雄李舜臣提督も無実の罪で一兵卒に落とされている。本書も、改めて半島との付き合い方を考えるいいヒントになる本だった。

 

 イージスアショア不採用や横田滋さんが亡くなったことから、急に憲法改正を含めた軍事力の議論が巻き起こっています。悪いことではないのですが、著者のような正しい歴史認識を持った人の意見を聴いてほしいと思います。それが21世紀の「海洋国家日本」の船出につながることを祈ります。

登場人物は3人だけ

 以前「わらの女」「目には目を」を紹介した、フランスのサスペンス作家カトリーヌ・アルレーのデビュー作が本書(1953年発表)。悪女もので一世を風靡した作家で、第二作「わらの女」は映画化もされた。いずれも登場人物を絞って、心理的な葛藤を描きながら悪女が堕ちていくプロセスを冷酷に示したものだ。

 

 本書の登場人物も、基本的に3人。全米に商業チェーンを展開する大富豪のわがまま娘ステラ、彼女の夫で医学者のスペンサー、そしてスペンサーの研究室からステラの介護にやってくるミス・ベルモントである。

 

 物語は、ほぼ全身マヒの状態になった私(ステラ)が、「私はまだ生きている。必ずここから脱け出してみせる」と執念でくりかえすシーンから始まる。すぐに時代は3~4年さかのぼり、20歳を過ぎたばかりで豪邸に住み、多くの使用人にかしづかれて奔放に暮らすステラの生活が描かれる。ただ実業家の父親が突然半身不随になり、多くの医者がサジを投げた。そこに最新鋭の治療を研究しているスペンサー青年医師が呼ばれて、父親を治癒した。

 

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 スペンサーは無口で真面目一徹の学者、寸暇を惜しんで研究しているが研究所を建てて自由に研究したいとの思いが強い。なんとなく深谷忠記の黒江壮を思わせる長身のイケメン。ステラは彼と結婚しようと一計(というか奸計)を案じる。婿として後継者を求める父親と、研究所建設資金が欲しいスペンサーの間に入り、建設資金をエサに結婚を承諾させるのだ。

 

 しかしスペンサーに事業をやる気はなく、怒った父親は再び発作を起こして亡くなってしまう。遺産を相続したステラだが、研究資金を出す意志などなくカジノで大金を失うなど豪遊を改めない。3年間喧嘩を続けた夫妻だが、ついにスペンサーがキレてステラを半身不随にする注射をしてしまう。自分の息のかかったミス・ベルモントに介護させながら、研究資金を出してくれたら治してやると迫るのだが・・・。

 

 ステラの独善的な奸計、スペンサーの専門的な反撃、それでも屈しないステラの暗闘が200ページあまり続く。僕から見ると真面目な学者スペンサーが気の毒なのだが、女性読者はステラを擁護するかもしれない。多分、答えのない議論になるだろう。経歴などもはっきりしないアルレーの作品、在庫はこれで終わりです。ある意味興味深い作家でしたね。