新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

「アルファ碁」に見るAIの深淵

 2018年発表の本書は、プロ棋士王九段がAI囲碁について、開発に携わったこともある棋士の立場で、その本質を記したもの。台湾出身の筆者は13歳から日本で暮らし、剛腕の異名をとったこともあると記憶している。

 

 自身の棋風を「ゾーンプレス型」、局地の戦いに拘らず大局を常に見ていて、着手も全て「確率計算」で決めていたという。これがAIソフトの開発にも生きたらしい。何しろAIは、常に盤面全部を見ることができるのだから。「アルファ碁」が中韓のTOP棋士を破って、一気に注目を集めた囲碁界では、AIについての議論が巻き起こり、他の分野での参考になると思う。

 

 AIは自分の決定を説明できないので、人間による翻訳が必要(説明責任?)との説については、

 

・機械の振る舞いは人間が全て把握するのが当然

・人間の振る舞いは、他の人間が完全に理解できる

 

 ことを前提としていて、筆者はこれを「人間の傲慢」なのではないかという。

 

        

 

 一方、AIにも欠点はあって、

 

◆水平線効果

 さすがに読める範囲には限界があって、その範囲内で都合の悪い局面が避けられないとなると「正しい手」も評価が低くなって、悪手を選びかねない。

 

過学習

 同じデータで過度の学習を行った結果、未学習の問いに正しい答えを出力できなくなる。例えば「神の一手」というものは、産み出しにくい。

 

 だという。初期のAIは、ポリシーネットワークが選択肢を示し、バリューネットワークが評価を下すのだが、現在では両者が一体化している。人間に難しかった、

 

1)局面の確率判断

2)候補手の提示

3)結果の整理

 

 が容易になった。現在NHK囲碁番組では、1)2)をリアルタイムで視聴者が見ることができる。

 

 面白かったのは「アルファ碁」の開発元ディープマインド社は、グーグル傘下に入るにあたり倫理委員会を設けることを条件としていたとあります。"Ethics of AI"は必ずしも欧州委員会発と言うわけではなかったのですね。

パンデミックを予言した小説

 2020年4月に出版された本書は、「COVID-19」のパンデミックを予言した小説。作者のローレンス・ライトは<ニューヨーカー誌>のスタッフライター。ジャーナリストとして、ノンフィクションや脚本を手掛けたが、1998年の映画「マーシャル・ロー」の脚本を書き、この映画は<9・11テロ>を予言したものと言われた。そして本書も世界を覆うパンデミック小説で、あまりにもタイムリーな発表時期となった。

 

 米国CDCで感染症対策班を率いる、ヘンリー・パーソンズとその一家が主人公。インドネシアコンゴリ収容所で発生した感染症は、感染力が強く死亡率が8割に上るというもの。急派されたヘンリーの活躍で収容所外への蔓延は防げたと見えたのだが、一人の感染者がメッカへ巡礼に出かけてしまった。

 

    

 

 サウジの保健相マジド王子は医師で、ヘンリーの友人。2人はサウジ内にこの「コンゴリウイルス」を封じ込めようとするのだが、保菌者を含む300万人の巡礼者は母国に戻って行ってしまった。また渡り鳥も、ウイルスを世界に広めていく。半年経って、世界で数億人が犠牲になった。米国でも大統領が感染し倒れるなど、社会システムが不安定になった。

 

 そこにロシア発のサイバー攻撃が襲い、米国は大混乱に。ヘンリーの妻ジルや子供たちも、エネルギーや食糧の不足に悩まされる。ジルの母親は認知症の施設にいたのだが、ケアする人が来られなくなり死んでしまった。

 

 ロシアでは不思議なほど感染者が少なく、プーチン(実名で登場)はウクライナバルト三国への侵攻を企てる。これを察知した米国情報部高官の会話が面白い。

 

少佐「プーチンは本当に侵攻するでしょうか」

将軍「もしスターリンだったら、どう思う?」

少佐「するでしょう」

将軍「プーチンはそういう男だ」

 

 中国や日本の動向は全く語られないのですが、見事なパニック予言小説でした。ちょっと冗長ですがね。

ARPANETから半世紀

 2021年発表の本書は、インターネットの過去・現在・未来を「インターネットの父」村井教授と天才プログラマーと呼ばれた実業家竹中直純氏が対談したもの。

 

 1969年に、米国の3大学の研究所をパケット通信網で結んだのが"APANET"。これがインターネットの最初だと教授らは主張し「インターネットは軍用システムの民間利用」とするのは誤りだという。インターネットの使命は「人間の望んでいること、解決したいことを実現する」にある。

 

 大学等での研究は10年後を見据えてやるのだから、容量の大きな回線や通信手段(例えば5G、6G)をひいても、過剰だと思ってはいけない。インフラがあってこそ「何かが自然にできるようになる」という。このあたりが、研究者と実業界の温度差だろう。ただ僕も、漫然と5Gのキラーアプリを探すだけではなく、したいことが自然にできてしまう社会を考えるのも必要だと思う。

 

        

 

 AIについても、OECDガイドラインを示して、

 

・人間と地球環境に役立つ

・公平公正な社会に寄与する

・透明性を確保し情報開示をする

・リスクを常に評価、管理する

・関与する組織は、上記原則の正常化に責任を持つ

 

 ことで、信頼を得られるとある。このガイドラインアシモフの「ロボット3原則」に通じるとも言っている。一方「インターネット(接続)は人権だ」とすることには、危機感を覚えるともある。インターネットは国家を超越した全人類のものだから、人権を盾に国家が介入することへの警戒感らしい。

 

 デジタル庁の在り方として、従来の役所とは意識を変えて、

 

・全てをオープンにして、境を作らない

・テクノロジーを使って全ての地球人を幸せにすることを考える

 

 であるべきという。村井教授とは20余年のお付き合い、今も1回/月程度はお会いしています。そのバックグラウンド、本書で確認させてもらいました。

嵐の夜の東京壊滅作戦

 先月、日本の自衛隊の問題点について、どうすればいいのかの提言をまとめた「令和の国防」まで3冊の書を紹介した。

 

闘えるようにするには - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

 

 2014年発表の本書は、小説の形を借りて「闘えない自衛隊」の問題点と、その解決策を示したものである。作者の安生正は、デビュー作「生存者ゼロ」で「このミス大賞」を獲得、前作を上回る問題作として本書を書いた。

 

 北朝鮮の1個中隊(200名)が、中国貨物船団にまぎれて日本に上陸、土台人(在日スパイ)の協力で、台風が迫る東京で大規模テロを敢行する。指揮官ハン大佐は「作戦級の英雄」だが、妻子を人質に取られてやむなく作戦を引き受けた。北朝鮮政府を動かした中国の崔将軍は、お目付け役に部下の陳中佐を同行させている。東京壊滅作戦の成否を危ぶむ者たちに、ハン大佐は日本の国防システムには欠点があると指摘する。それは、

 

        

 

国家安全保障会議の意思決定システムが未熟で、緊急の有事に対応できない

日米安保条約の存在が、逆に有事への対応を遅らせる

 

 の2つ。チェコ製の機関銃や各種のミサイルで完全武装したハン大佐の部下たちは、警察のSATらを簡単に蹴散らし、自衛隊の特殊作戦群もワナにかける。国家安全保障会議に呼び出された防衛省情報本部きっての分析官真下三佐の献策は、政治家や官僚の抵抗にあって採用されない。特に法学部出身財務省から防衛省に出向している審議官は、数々の法律を並べ立てて実働部隊を動かさせない。

 

 水際作戦しか想定していない自衛隊は、首都での市街戦など全く準備していない。米軍も「もし市民を傷つけては一大事」と応援を求めないことに決めてしまう。警官100名、自衛官200名が犠牲になっても、安全保障会議は迷走するだけ。

 

 なぜ闘えないのか、予習をしておいたので理解できました。さて、現実社会では本書のように「結果オーライ」になりますかね?

奇妙な話が大好きな青年貴族

 昨年までに、第五長編「毒を喰らわば」までを紹介してきたドロシー・L・セイヤーズの「ピーター・ウィムジー卿もの」。作者はクリケットが得意な青年貴族ピーター卿の登場するミステリーを、長編11、短編21発表している。本書には、5冊ある短編集の中から創元社が選んだ7編が収められている。

 

 作者は才気煥発な少女だったが、美人ではなく並外れた長身で、容姿のコンプレックスは強かった。結婚もうまくいかず、一人の子供と著作にだけ心血を注いだという。教師やコピーライターの経験と子供の頃からのミステリー好きで、ピーター卿という理想の男性を産み出したと思われる。

 

 ピーター卿はデビュー作では30歳ほどだが、後にミステリー作家のハリエットと巡り会い結婚、3人の男子をもうけた。彼の趣味は、音楽、ワインとグルメ全般、犯罪学など愛書家であり、聡明でいたずら好きな青年貴族として描かれている。

 

        

 

 本書収録の「幽霊に憑かれた巡査」は、ハリエットが第一子を産み落とした日、病院から帰る途中でピーター卿が出会った巡査の不思議体験と、卿の鮮やかな解決を描いたものだ。作者は特に医学に長じているわけではないが、毒物を含む医学的な知見を用いてトリックを構成している。もちろん、専門家でなくては解けないアンフェアな謎ではない。

 

 100ページほどの中編「不和の種、小さな村のメロドラマ」では、米国で客死した富豪の死体が戻ってきて、故郷の村で葬儀が行われようとするところで、首無し御者が乗った首無し馬4頭がひく馬車を見た男が現れる。このように冒頭の怪奇性は、作者の得意とするところ。その種の「奇妙な話」を聞きつけたピーター卿は、喜んで事件に介入する。

 

 冒頭の怪奇性(謎)、中盤のサスペンス、最後に合理的で鮮やかな解決というのがミステリーの基本です。作者は短編でも手を抜かず、基本を守った作品作りをしていましたね。