新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

史上初の長編密室ミステリー

 本書は、今月出かけた京都の出町桝形商店街の古書店で見つけたもの。1891年の発表で、史上初の長編密室ミステリーである。ずっと名のみ知られた古典で、ミステリー歴50年以上になって、ようやく見つけた逸品である。

 

 ロンドンの一角ボウ町にある下宿屋で、労働運動指導者の青年アーサーが殺された。下宿の2階の2部屋を借り切っていたが、どの部屋もドアにも窓にも内側からカギがかかり、ドアには閂までかかっていた。起きてこないのを不審に思った下宿の女主人が、はす向かいに住む引退した刑事グロドマンに頼んでドアを破ってもらって、死体を発見している。

 

        

 

 当初自殺説もあったのだが、即死状態だったし、凶器は室内から見つからない。ロンドン警視庁は捜査を開始するが、予審では明確に「殺人」の評決は出なかった。予審には第一発見者の女主人やグロドマンだけでなく、付近の住民も召喚されて証言する。陪審員も質問するのだが、結局不可能犯罪の壁にあたってしまう。

 

 アーサーの周辺には、美しい婚約者や労働運動の指導者仲間トム、さらにその恋人などがいて、下層階級出身のトムが恋人をアーサーに盗られたゆえの殺人容疑がかかる。密室の謎を、現役刑事とグロドマンが解いて見せる推理の競演が見事である。予審+殺人容疑の2度の法廷シーンがリアルで、これが19世紀の作品かと驚いた。また、中産階級のアーサーと下層のトムの関係など、社会派ミステリーの色合いもある。

 

 作者のイズレイル・ザングウィルはロンドン生まれのユダヤ人。作家としてよりもシオニストとして知られ、小説や脚本もシオニズム色が強いものだ。彼は、ミステリーを1作しか書かなかったが、本書でミステリー史に偉大な足跡を遺した。

 

 帯にあるように、日本の本格作家有栖川有栖の推薦で創元社が復刊してくれたもののようです。感謝しかありませんね。

 

ビゼーを待つシューマン

 本書は、以前紹介した「危険な童話」などと同様、土屋隆夫の「千草検事シリーズ」の長編と何編はの短編、エッセイなどを合本したもの。中心となっているのは、1966年に発表された300ページほどの長編「赤の組曲」である。

 

 千草検事の学生時代の知り合い坂口秋男は、出版社の部長。卒業以来10年振りに再会し、時折酒を呑む間柄だ。彼が突然訪ねて来て「妻美世が失踪したので、警察に口をきいてくれ」という。1年ほど前、ひとり息子をひき逃げで亡くしてから、妻は情緒不安定になり一晩街を歩き回ることもあったという。

 

 しかし、今回は衝動的な失踪ではなく、前日に30万円(今だと300万円くらいか)を銀行から引き下ろしているので計画的なものだと思われる。千草は所轄の警察署長を紹介するのだが、坂口は2人だけの時に呼び合う言葉を使って新聞広告も出した。「ビゼー(美世)よ帰れ、シューマン(秋男)は待つ」との文面。

 

        

 

 失踪の直前に美世を会話した坂口の部下牧の証言で、千草は美世が信州方面に行ったと推測する。長野県の別所温泉の旅館に美世らしき女が現れ、駅に男を迎えに行くと言って出て行ったきり戻らなかった。

 

 自宅で見つかった血染めのゼロの文字、ひき逃げ犯の赤いヘルメット、旅館に残された赤いネグリジェ、さらに赤い日記帳や夕焼けが全編を貫く<赤のモチーフ>である。やがて美世に付きまとっていた男の死体が見つかり、千草は大酒のみの野本刑事らの助けを借りて事件を解決しようとする。

 

 千草は、美世も殺されていると考えたのだが、ある日牧が東京で美世を目撃したという。ちゃんとした証言をとろうとした矢先、牧も殺されてしまった。

 

 抑えるところは抑えた正統派の本格ミステリーで、指紋・血液型(まだDNAは使えない)など科学捜査も少しはあるが、基本は心理トリック。長すぎる昨今のミステリーに比べ、安心して読めますね。

 

街角オーディションの目的

 1946年発表の本書は、久しぶりに見つけたE・S・ガードナーの「ペリイ・メイソンもの」。法廷シーンも多く(70ページほどある)、本格ミステリーとしても楽しめる作品に仕上がっている。第二次世界大戦直後なのだが、戦勝国米国には戦争の傷跡も見られない。ロサンゼルスと思しき街は活況を呈していて、求人も豊富だ。本書は、そのなかでも奇妙な求人広告で始まる。

 

「求む、清楚なブルネット。23~25歳、身長・体重・サイズが規定に合うもの。報酬は50ドル/日。希望者は指定日に既定の服装で街角に立て」

 

 メイソンが出会った娘は、これに応募しよく似たルームメイトが当選したという。事件の匂いを嗅いだメイソンたちは、当選したという娘を訪ねると、なかなか会わせてもらえない。彼女エヴァとその付き添いアデルは、指定された豪華な部屋で、その部屋の借主ヘレンになりすますように言われていた。

 

        

 

 それを指示した男ロバートは、実はケチな賭博師、誰かに依頼されたようだが依頼者の名は明かさない。しかも外出するエヴァ達には私立探偵らしいチームが尾行を続けている。一体、このオーディションの意味は何なのか?やがて事件は、ロバートが射殺され、アデルに容疑がかかる殺人事件の裁判に発展する。

 

 ロバートへの依頼者や、その関係者にメイソンが迫る会話やサインを求める調書が面白い。ある程度法律知識を持つ連中を相手に、それを逆手に取った罠をかける。終盤の法廷場面でも、勢い込んで検察官席に立つガリング検事補に対し、法廷内外で罠をかけ「鼻づらを掴んで引きずり回す」。

 

 ガリングは優秀な検察官だが、メイソンに言わせると「法理論は得意でも法廷現場を知らず、閃きが少ない」。ただこの事件はアデルは無罪を信じながら、真犯人をメイソンも分からず弁護する。最後に明かされる旧式拳銃のトリックはさすがで、十分楽しめましたよ。

 

国境紛争を裁く委員の不審死

 先日横浜馬車道古書店を見つけふらりと入ったところ、最近見かけることのないパトリシア・モイーズの作品を3冊見つけることができた。古書店主も「モイーズ面白いですよね」と言ってくれた。今月から1冊/月のペースで紹介したい。

 

 1968年発表の本書は、以前紹介した「死の贈物」の直前の作品で、まだヘンリ・ティベットは主任ではない平警視。国境紛争の裁定機関「恒久国境訴訟委員会(PIFL)」は各国の外交官OBなど11人で構成されているが、皆高齢で直近に2人が亡くなっている。今抱えているアフリカの紛争について、A国支持の委員2人が亡くなってB国支持の委員との差は1人になってしまった。

 

        

 

 いかがわしい酒場のトイレで射殺されたギャンブラーの事件を担当していたヘンリに、妻のエミーの知り合いでPIFLの担当者ゴードンが、2老人の死を調べてくれと言って来た。とりあわなかったヘンリだが、担当事件の被害者が身分不相応なカネをもちながら高級ホテルでバイトしていたことを不思議に思って調べると、心臓麻痺で死んだPIFL委員にルームサービスする係だったことがわかる。

 

 さらにバスに轢かれて死んだ委員のケースで、事故だと証言したのが酒場のオーナーだったこともわかり、委員暗殺の疑いが濃くなった。しかし、ならばなぜギャンブラーは殺されたのか?次に狙われるA国支持の委員は誰か?酒場から逃げた付け髭にサングラスの男は何者か?魅力的な謎がに、ヘンリとエミーの鴛鴦探偵が挑戦する。

 

 やがて次に狙われるのはオランダ人クーツフェーン(原題のDUTCH UNCLE)の公算が高くなり、ヘンリとエミーは観光客を装ってオランダに渡る。しかし、老人は警護を断り出て行けと言う。

 

 このシリーズの面白さは、何といっても2人のかけあい。「鼻が利く」ヘンリに対し「あたしの鼻も」と明るく対抗するエミーが可愛らしい。エミーは顔を知られ過ぎている夫に替わり、不自由なオランダ語に悩まされながら大活躍をします。あと2冊、楽しみです。

 

捜査指揮官ファイロ・ヴァンス

 1935年発表の本書は、S・S・ヴァン・ダインの長編第9作。前半6作に比べ後半6作の評価は一般に高くない作者の作品だが、第7作「ドラゴン殺人事件」と本編は堂々たる仕上がりだと思う。高校生の時に読んで、夏休みの読書感想文に選んだ書でもある。

 

 普通素人探偵であるファイロ・ヴァンスは、友人である地方検事マーカムから事件のあらましを聞き、おもむろに腰を上げて現場に向かう。ペダンティックな警句を吐きながら勝手な捜査をして、時には官憲から白い目を向けられる。だからヴァンスものは、名探偵が登場し現場検証・関係者の聞き取りなどに立ち会うシーンは半分ほどになる。

 

 ところが本書では、ヴァンスとヴァン・ダインは殺人現場に居合わせ、ヴァンスは最初から現場保存に努め、自らマーカム検事とヒース部長刑事や検視官を呼び出す。現場にいた人たちからの事情聴取を、エレベータボーイや看護婦も含めて自ら行う。

 

        

 

 

 事件の舞台はニューヨークの高層ビル街(30階くらい)。化学者ガーデン教授のペントハウスには、家族と競馬好きが集まっていた。ここではリヴァーモントパークでの競馬が実況され、ノミ屋に電話を繋いで賭けが行われていた。前日匿名の通報で「ガーデン宅で何かが起こる」と呼び出されたヴァンスたちもやって来ていた。

 

 馬にも詳しいヴァンスはそこそこ儲けるのだが、教授の甥ウードは無謀な賭けをして1万ドルをすってしまう。直後屋上に出た彼は、射殺されてしまった。一見自殺に見えたのだが、ヴァンスの慧眼はこれを殺人と見なす。官憲を呼んで自ら捜査指揮(!)を取り始める。狡知に長けた犯人は、ヴァンスの目をかいくぐって殺人計画を修正しつつ野望を達成しようとする。犯人の目星は付くものの証拠を掴めないヴァンスは、自らをエサに罠を仕掛ける。

 

 ヴァンスの(時には嫌味な)言動も読者は大好きなので、300ページ余にわたってヴァンスの魅力を堪能できる嬉しい作品になっている。50年ぶりの再会でしたが、感動は同じくらいでしたね。作者の長編はあと2編が書棚にあり、2編を探しているところです。