新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

社会党の躍進とゼネスト

 「日本占領」第二巻には、1946年の春から、翌年5月までの記録がある。マッカーサー元帥が最初に取り組んだ「軍事力の破壊」は、順調に進んだ。湾岸戦争後のイラクのようにゲリラ活動は全くなく、武装解除は速やかに行われ、アイケルバーガー中将の仮住まいにも「日本刀の部屋」が出来るほどである。占領軍は日本人の「被統治能力の高さ」に驚いた。

 
 次の課題は経済活動の回復、とりわけ食料の確保だった。占領当初は絶対的に不足していた食料も、2年目になると総量としては餓死者を出さないレベルまで回復していた。しかし問題はその輸送・流通手段である。アイケルバーガー中将も、鉄道こそ占領政策の要、100カ所のトンネルをテロリストに破壊されたら占領政策は瓦解すると言っている。

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 流通手段としての貨幣も、新円切り替えなどで混乱、「隠し米」などのない都会では「米よこせデモ」が頻発した。そんな中、戦前戦中に軍国主義政策に関与・協力した人たちの公職追放が行われ、首相候補から財界人、基礎自治体の首長まで政治・経済の中心人物が除去されて社会の混乱に拍車をかけた。
 
 1946年の総選挙では保守の自由党が第一党になったが、党首の鳩山一郎公職追放で組閣できなかった。社会不安がつのる中、社会党共産党勢力が支持を集めていき、労働組合の力も増してきた。そして1947年2月、ゼネストが企画される。アイケルバーガー中将が危惧した鉄道の機能停止は、テロリストの暴挙に拠らなくてもストという形でできてしまうのだ。
 
 この時ゼネスト企画の中心にいた日本共産党徳田書記長はゼネストすれば都会で餓死者がでると指摘されて、「市民は気の毒とは思うが、我々はその混乱の中でクーデターをする」と豪語したと伝えられる。近年ソフトイメージの共産党だが、ルーツはソ連の支援を受けたクーデター勢力であったことを忘れてはいけない。
 
 ゼネストはなんとか回避されたが、同年4月大日本帝国憲法下で行われた最後の総選挙では、社会党が(過半数はとれなかったが)第一党となった。その結果を見て社会党西尾書記長は「そら、えらいこっちゃ」と叫んだ。政権遂行の準備など全くできていなかったのである。結局大連立内閣になるのだが、社会党首班片山内閣は短命に終わる。
 
 戦後の混乱期ではあるが、有権者の大きな不信・不満を背景にしても、政権交代が難しいのはここにも例があった。現代は餓死者がでるような危機ではないが、格差の広がりグローバル化での疲弊で有権者の不満は高い。野党の足並みが乱れていることから当面の政権交代は難しそうだが、人気を集めている立憲民主党にも昔の社会党の影がちらついて見えてどうしても僕は支持できない。