新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

70年代の本格社会派ミステリー

 先日「当代一流の読み手」佐野洋の、一風変わった連作短編集「検察審査会の午後」を紹介したが、本書は正々堂々作者の代表的な本格長編ミステリー。1970年の発表で、よくある雑誌等への連載ではなく<カッパ・ノベルズ>への書き下ろしである。それゆえ全編にわたって、作者の計算されつくしたテクニックが埋め込まれている。連載だと結果がわからずスタートすることもあって、一貫した仕掛けは盛り込みにくいのだ。

 

 本書のテーマはタイトルにもなっている「轢き逃げ」。作中何度も説明されるが、加害者と被害者に接点があるケースが少なく、一般の殺人事件と違って、被害者の過去を調べて「動機」を持った人間を探るのは効果が薄い。一方必ず何らかの遺留品はあり、犯行に使われたクルマには痕跡が残る。仮に修理したところで、その記録は確実に官憲の手に落ちる。

 

 大手機械メーカーの労務担当課長守口は、愛人厚子を乗せて深夜に走行中、元中央日報の牧原なる人物をはねて殺してしまった。労働組合を相手取って活躍中の守口は、社内でもキレもので通るエリート。妻に内緒の愛人を乗せていたこともあって、守口はその場から遁走する。会社は社員の交通事故を厳罰化する方向で組合と調整しており、その担当課長でもある守口としては事故を起こしたなどとは言えないのだ。

 

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 厚子は自身の経営するカフェの常連相葉が自動車のセールスマンであることから、彼に相談を持ち掛け偽装事故でクルマを損傷したことにして修理をさせる。前半は守口と厚子の偽装工作に対し、警視庁交通課の古川警部補たちが地道に網を絞る「倒叙風」の進行になる。しかし追い詰められた守口が、熱海の旅館に遺書らしいものを残して失踪してからの後半は、一転本格推理小説に戻ってくる。

 

 守口も厚子も自殺とは考えにくい状況で毒殺されていて、限られた関係者(守口家や牧原家、複雑な関係にある恋人たち)の中に犯人はいるに違いないのだが・・・。牧原の娘の愛人である中央日報の畠山記者は、彼女の苦悩を救おうと事件を洗い始める。

 

 古川警部補のチームや畠山の捜査は、地道なもの。特に派手な立ち回りや華麗な推理はないのだが、その分リアリティはある。1970年代のクルマ社会の入り口、乱れた男女関係、労組問題などを背景にした、本格社会派ミステリーでした。