2008年発表の本書は、スパイ小説の大家ジョン・ル・カレの晩年の作品。昨年回想録「地下道の鳩」を紹介しているが、どうも本格スパイ小説を紹介するのは初めてらしい。舞台はドイツの港町ハンブルグ、そこにやってきたやせぎすのイスラム青年イッサ。チェチェン人とロシア人の混血らしいのだが、無口で人見知りをし自分のカラから出てこない。
同じイスラム教徒として、トルコ人の未亡人レイラとその息子が自宅に住まわせるのだが、スンニ派・シーア派の区別もつかないようだし体には無数の傷跡がある。ハンブルグに着く前にも、デンマーク等で入国時にトラブルを起こしている。当局はテロリストの可能性があると手配もしている。ただ英国人(スコットランド人)ブルーが経営する銀行の口座番号などを持っていて、本人は銀行からお金を引き出して医学の勉強をするのだと語っている。
レイラからの連絡を受けた慈善団体の弁護士アナベルは、イッサに接触するのだが心を開いてはくれない。アナベルはブルーにもイッサのことを聞くのだが、ブルーにも心当たりはない。しかしドイツの憲法擁護庁のバッハマン課長らは、イッサの秘密を知ろうと捜査を開始する。ひょっとするとイッサは、ソ連赤軍(KGB?)の大物カルポフ大佐の縁につながるものではないか、すでに亡くなったカルポフ大佐は、ブルーの銀行に大金を隠していたのではないか・・・と。
なぜか英国情報部や米国政府のエージェントも絡んできて、イッサの周りには激しい(が目に見えない)スパイ戦が展開される。イッサそのものはイスラム学者アブドゥラに会いたがるだけなのだが、スパイ戦はアナベルやブルーも巻き込んで2人を窮地に追い込む。
イスラム移民(だけではないが)を庇護する慈善団体の活動は、実に熱心である。アブドラやその上司は、バッハマンらの強硬な取り調べや「罠」に遭っても、イッサを護ろうとする。さらにバッハマンや英米のスパイの狙いは、イッサではなくアブドゥラかもしれないとも思えてくる。
ドイツを最終目的地として流れてくるイスラム移民・難民の陰には、ロシアやトルコ、あるいはイスラム過激派の大規模組織犯罪がありそうだ。21世紀欧州の課題を、本書は深くえぐりだしている。
スパイ小説としては地味なのですが、欧州の地政学的課題を切り取ったものとするなら、日本人にもわかりやすい教科書でした。