新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

東大法学部の4人

 高木彬光は後年の「検事霧島三郎」シリーズが有名だが、デビュー作「刺青殺人事件」(1948年)は怪奇なテイストの本格密室ものだった。その後東大医学部の神津恭介を探偵役にしたシリーズで本格ミステリーを書き続けていたが、社会派ミステリーへの転機となったのが本書(1960年)である。

 

 本書の前に「人蟻」という経済ミステリー(弁護士百谷夫妻登場)を書いていて、それが社会派転向の兆候だったようだ。作者自身は理系(京都大学工学部)出身だが、社会・経済ものとなると、どうしても法律の知識は必要になる。弁護士を主人公におくために作者は法律の勉強をしたと思われる。その成果が「週刊スリラー」に1年間にわたって連載された本書である。

 

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 主人公は4人の東大法学部の学生。戦後間もないころから物語は始まるので、学生とはいえ従軍経験を持っている者もいる。彼らが戦後の混乱期に最初は遊ぶ金欲しさにはじめた詐欺犯罪がエスカレートしていく様が700ページの中に詰まっている。

 

 病的な天才隅田は仲間3人を集めて金融会社を設立、混乱期のカネ不足に乗じて「闇金」的な事業に乗り出す。目的は異常なほどの女色漁りに使うカネ稼ぎ。確かにもうかるのだが、女にも酒にもルーズな隅田のもと会社経営は破綻する。詐欺容疑がかけられた隅田は焼身自殺、彼とたもとを分かった3人の中に遅咲きの天才犯罪者鶴岡がいた。

 

 隅田のアイデアで知識と経験を得た鶴岡は、持ち前の度胸と粘り強い性格で隅田以上の犯罪者にのしあがる。休日のオフィスを利用した「架空の東京支店」を作ったり、南米の某国大使館に潜入させた配下を使って国際取引をでっちあげたり、昔のTVドラマ「スパイ大作戦」を思わせる舞台装置・役者を用いる大掛かりな詐欺だ。

 

 主にターゲットになるのは、戦後の混乱期に適応できない大手の老舗企業。体質改善が遅れ、高利のつなぎ融資を求めているような会社である。有利な手形割引を持ちかけられて、用心はするのだが上記の仕掛けにはまって泣きを見る企業が続出する。

 

 鶴岡は自らを「善意の第三者」にする法的な仕掛けを次々に編み出し、二度と同じ手は使わない。これは、犯罪者だけでなくビジネスの世界でも重要な示唆である。以前「メルトン先生の犯罪学演習」を紹介しているが、それをは違った意味で僕が法律に興味を持つきっかけになったのが本書である。それにしてもこれらの手口、本当にやる奴が出てくる可能性は高い「参考書」ですね。

スペンサーの「荒野の七人」

 ある日スペンサーのところに西部から来た若妻メアリが訪ねてきて、夫を殺した奴を捕まえてくれと訴えかける。彼女の住む町ポットショットは荒れ地に囲まれた山間の町で、巣くったならず者集団<ザ・デル>に脅かされている。彼女の夫スティーブは海兵隊上がりのスポーツマン、ならず者に楯突いたばかりに射殺されたらしい。それでも町の警察は「証拠も証人も、手掛かりもない」と消極的、思い余った彼女はロス警察の知り合いに相談してスペンサーを紹介されのだ。

 
 捜査を引き受けたスペンサーは、ポットショットの町を訪れて<ザ・デル>の頭目プリーチャーと対峙する。もともと町はずれの鉱山跡にたむろしていたならず者たちを、数年前に流れてきたプリーチャーが組織化したことで町の脅威になったらしい。<ザ・デル>は木曜日になると町に出てきて、町中から「みかじめ料」をせしめていく。評判が伝わって、町の不動産価格は下落する一方だ。

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 <ザ・デル>の下っ端を叩きのめしたスペンサーに、町の重鎮たちは<ザ・デル>一掃を依頼する。スペンサーはこれも引き受け、相手が40人ほどいることからガンマンを集め始める。相棒のホークはもちろん、ボストン、ラスヴェガス、ロサンゼルスや前作「ハガーマガーを守れ」で知り合った南部ジョージアのガンマンまで呼び出して、「Magnificent Seven」が揃うことになる。7人は町はずれに一軒家を借り、自動小銃や散弾銃をしこたま運び込んで作戦を練る。
 
 一方スペンサーはメアリの夫の殺人事件も追っていて、関係者の過去を洗い続ける。その過程で、被害者スティーブやその妻メアリの人物像(スポーツマンと知的な女性、理想的な美男美女)が崩れ始める。派手な銃撃戦はクライマックスではなく、その後にスペンサーが真犯人とその動機を暴くシーンがミステリーの醍醐味だ。
 
 長いシリーズの中でちょくちょく顔を見せる個性的なガンマンたちが、一堂に会したのが本作(2001年発表)。21世紀になっても意気軒高なスペンサーシリーズの魅力は、ワイルドなシーンと並んで登場人物同士のとぼけた/しゃれた会話にある。加えて本格ミステリーの手法と、私立探偵ならではの勝手な解決(必ずしも犯人を起訴まで持ち込む必要がない)があって、シリーズ中でも屈指の傑作だと思います。

ツェッペリン飛行船

 南ドイツ、バーデン=ヴィッツベルグ州コンスタンツの船着き場に、背中に羽根を生やした男のモニュメントが建っている。イカロスのようにも見えるが、これがフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵の像である。伯爵は飛行船の開発・運用に生涯や財産を掛けた人物で、周囲からは「キチガイ伯爵」と呼ばれていたらしい。
 
 空を飛ぶ夢というのは、多くの人たちを魅了するようだ。今でも、しんどい仕事なのに宇宙飛行士になりたい人は多い。20世紀の初めころは、宇宙ではなく大空がその対象だった。ライト兄弟の有人動力飛行(1903年)に先立ち、ツェッペリン飛行船は1900年初飛行に成功する。ツェッペリン伯爵の領地は、ボーデン湖沿いのフリードリヒス・ハーフェンにあり、初飛行の地もそこだった。
 
 ボーデン湖は、ドイツ・オーストリア・スイスの3国にまたがる湖だが、北岸は西端のコンスタンツから東端のリンダウまでドイツ領である。フリードリヒス・ハーフェンはコンスタンツとリンダウのほぼ中間にある。一度だけ、コンスタンツからリンダウまでの船便に乗ったことがある。湖の北岸にはぶどう畑が並び、湖の反射光も含めてたっぷりと陽を浴びている。このあたりのワインは、外国に輸出されることはなく、地元でのみ消費されてしまうが、さっぱりとした味で忘れがたいものがある。もちろん、白。
 
 輸送・観光用として普及してきたツェッペリン飛行船は、第一次大戦では120機ほどが偵察や爆撃にも使用された。ロンドンを空襲する飛行船に対し、英国の複葉戦闘機が迎撃するシーンが見られた。戦争が終わり、1928年に製作された "LZ 127" グラーフ・ツェッペリン号がひとつのピークだった。全長235m、航続距離10,000kmという大型飛行船で、世界一周を企画したのである。グラーフ・ツェッペリン号は、1929年には日本にも飛来した。
 
 第二次大戦までの期間、列強各国は飛行船の軍事利用を研究した。米国海軍は、1隻の飛行船は数隻の巡洋艦に相当するとの研究結果を発表している。巡洋艦はより小さな艦艇(駆逐艦哨戒艇等)を砲撃することはあるが、主力艦(戦艦・巡洋戦艦)と交戦することは想定されていない。日本海軍が酸素魚雷巡洋艦に搭載して、主力艦を狙う戦術を考えたのは例外と言える。

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 巡洋艦の基本的な任務は、偵察である。敵の主力艦の位置を確認し、可能な限り追尾して位置や編成・戦力などを報告し続けることが期待されている。これは、日本海海戦の初期段階を見ればあきらかだろう。速力の遅い旧式艦艇を抱え、長旅で速力が鈍ったバルチック艦隊日本海軍の巡洋艦を振り切ることができず、東郷艦隊の待ち伏せをうけてしまう。
 
 いかに快速とはいえ、巡洋艦はフネである。空を飛ぶ飛行船と偵察範囲を比べれば、勝負にならない。米国海軍は巡洋艦の偵察能力を飛行船で代替した場合のことを考え評価したのである。しかし、飛行船には大きな問題があった。飛行機に比べれば低速なのは航続距離でカバーできるかもしれない。当時の飛行機は「バッタのように飛んだらすぐ降りる」程度しか飛べないからだ。
 
 飛行船先進国のドイツにとって最大の課題は、不活性のヘリウムガスが入手困難なため危険な水素ガスを使わざるを得なかったこと。このために、ヒンデンブルグ号が爆発事故を起こすなど、空の旅は発展を続ける飛行機に移ってゆく。
 
 そして海の戦場でも、偵察能力は航空母艦巡洋艦+搭載機で飛躍的に向上し、飛行船の出番は無くなっていった。ドイツ海軍が航空母艦の建造を企画しながら、未完成に終わった「グラーフ・ツェッペリン」の名前が皮肉に思われる。

テムジンの参謀(後編)

 モンゴル族自身の人口は少ない。しかし降伏させたり捕虜にした民族の兵士を前面に立て、チンギス・ハンの天才的軍事力で西へ西へと攻め上る。敦煌周辺の「西夏」(タングート族)から、天山山脈の北の「西遼」(契丹族)を経てついにカスピ海東のホラズム王国をも併呑する。ここまでくると、イスラム教徒のペルシア人も幕僚に加わってくる。人種・宗教・文化・言語のごった煮のような国家になってゆく。

 

 その中で耶律楚材は徐々に重用され、ついに宰相の座につく。とはいえ富裕な生活をしたわけではなく、東奔西走して各地の施政を正し、すこし時間ができると詩を詠み琴をひいた。そしてチンギス・ハンの寿命が尽きるとき、跡目争いを収める役割を担うことになる。

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 一代の天才チンギス・ハンには、4人の息子がいた。長男次男は仲が悪く、調整役としては三男のオゴデイが優れている。しかし末弟トゥルイもモンゴル族の「末子継承」の風習を盾に意欲十分である。楚材はチンギス・ハンの内意を受けてオゴデイを後継者にするために工作する。

 

 オゴデイの代になって、モンゴル王国はサマルカンドを首都に定め定住をし始める。サマルカンドゴビ砂漠の北で、バイカル湖にそそぐ河が流れている。モンゴル族の住まいは移動式テントだから、築城術などもない。占領地で得た人材に期待すべきなのだが、それまでは皆な殺すか奴隷にしていた。楚材は彼らを登用するシステムを作って王国の技術や文化を変えてゆく。

 

 定住を始めたものの、侵略はやまない。東は「金」を圧迫し、西はキエフまで兵を進める。西部戦線(?)までは、首都から伝令を送っても3カ月かかるという距離だ。加えて王朝の中にも不穏な空気が流れてくる。末弟トゥルイの未亡人にペルシア人がとりいり、政治に口を挟み始めたのだ。中東のイスラム教徒たちも、アラブ人とペルシア人では気質が異なり、ペルシア人は商売上手だという。

 

 楚材の晩年は、大酒で体を壊してゆくオゴデイを支え、ペルシア人との暗闘に費やされる。そしてついにオゴデイも死に、跡目は以前からの密約の通りトゥルイの子供たちに受け継がれてゆく。

 

 まさにスケールの大きな歴史物語で、700ページを短く感じさせる力作だった。楚材は文官なので、派手な戦闘シーンなどは全くなく戦闘前の工作や戦闘後の施政など敵国の市民の被害をいかに軽くするかに奔走した彼の哲学がにじみ出る。名前からして「外国で重用される」ことを運命づけられた男の生涯、面白かったです。

テムジンの参謀(前編)

 以前「中国の歴史」や「小説十八史略」という歴史大作を読んで、陳舜臣の鋭い歴史感に感心したものだが、同時に作者の日本語使いも見事だなと思った。各6~7巻という大部で、難しい(登場人物の名前も・・・)内容なのに、すらすら読めたからだ。

 

https://nicky-akira.hateblo.jp/entry/2019/05/09/000000

 

 今回読んでみたのは「耶律楚材」全2巻、モンゴル帝国初期の宰相なのだが名前から分かるようにモンゴル人ではない。彼は契丹族の出身で女真族の王朝である「金」の都燕京(現在の北京)で生まれた。「楚材」とは外国で用いられる人物の意味である。北方騎馬民族である女真族契丹族の「遼」を滅ぼし、漢民族の「宋」を南へ追いやって建国したのが「金」。楚材の父自身も、彼にとっては外国の「金」で働いている。

         

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 「金」も同じ北方騎馬民族であるモンゴル族らの侵攻は警戒して、モンゴルの部族を離間させ内紛を続けさせる政策をとっていた。しかしついにモンゴル族の統一をテムジン(後のチンギス・ハン)が成し遂げる。一旦統一されてみると、長年戦闘を続けてきただけあってモンゴル族の戦闘力は群を抜いている。降伏させた周辺部族(契丹族も含まれる)を先兵に燕京に押し寄せるモンゴル族に、「金」は首都を明け渡して南へのがれた。

 

 天文はじめ政治や芸術に秀でる楚材はテムジンに見いだされ、モンゴル族の「参謀」の列に加えられる。天文という分野は「占い」を含む。今は侵攻の時期ではないとか、攻める方向は南から良いとか、軍事作戦にも関与することになる。

 

 当時のモンゴル族の無学さは驚くばかりで、彼らには「文字」というものがない。世界史最大の覇者チンギス・ハンは、文盲だったわけだ。戦闘には強いモンゴル族だが、占領地の軍政の経験も皆無だ。もともと領土という概念がない遊牧民族だから、敵国の城を陥落させても「屠城」という略奪行為をするだけで引き揚げてしまう。もちろんその跡に生き物は残っていないのだが・・・。

 

 楚材はテムジンをいさめ、略奪ではなく占領し施政を敷いて市民の力を味方につけるように説く。テムジンも理解はするのだが、配下のモンゴル軍団は略奪だけがモチベーションなので直ぐには方針転換できない。

 

<続く>