新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

薄く、分かりやすく

 昨年経団連が翻訳出版した「サイバーセキュティハンドブック」については、これをセミナーで解説した人が、薄い、専門用語がない、経営者が質問する項目を書いているとして、とかく難しいサイバーセキュリティ対策について、文系出身者も多く忙しい経営者が読めるものだと言っていた。

 

https://nicky-akira.hatenablog.com/entry/2020/01/09/060000

 

 本当は勉強しなくてはいけないのだが、なかなか難しいと思うことはいくらもある。本書もそのひとつ、道路・橋梁・トンネルなどの社会インフラのメンテナンスについての解説書である。先月紹介したように、地方自治体の土木技術者や関連予算が長期にわたって減ってきている一方、高度成長期などに整備され老朽化したインフラも増えてきている。

 

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 国交省では「インフラメンテナンス戦略小委員会」を設置して、戦略的にインフラ保守のための体制・予算・技術などを整備する方法を考え始めている。その種の会合もいくつか行われていて、そこに顔を出した時に勧められたのが本書だった。

 

https://nicky-akira.hatenablog.com/entry/2020/03/26/140000

 

 本書をとりまとめた出版元は「(公財)日本ファシリティマネジメント協会」、上記のような状況に危機感を持った関係機関の民間人が集まって作り上げたものだ。この種の本としては、実質100ページというのは「薄い」。必要最小限の専門用語はあるけれど、アニメ・イラスト・図表を多用していて自治体の土木技術者の初心者でも「分かりやすい」。そして、現場目線が徹底していて、技術者がこういう状況に遭遇したらなにをすべきか「やるべき項目」が書いてある。

 

 

 正直な話、ここまで簡単な内容にしないといけないのかと驚くくらい、手軽に読める内容である。薄い本でありながら「事例は豊富」、土木関連部署に配属された時にパラパラめくりで読んでおき、実際に現場に出て困ったことがあったらそこを集中的に読めばいい。

 

 こういう書籍を構想し、実際に手を動かしてまとめた人たちに敬意を表します。

石山本願寺攻防異聞

 ミステリー作家というよりは、歴史家と言った方が井沢元彦という人を正しく表すかもしれない。デビュー作「猿丸幻視行」からして、SF的な手法も入れながら豊富な歴史考証を背景にしたものだった。一般のミステリー読者にはあまりなじみのない国文学者折口信夫を主人公のひとりに据え、柿本人麻呂らとからめた興味深い作品だった。

 

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 本書は、そんな彼が得意とする歴史ミステリーである。主人公兼探偵役は、日本人がだれでも知っている織田信長石山本願寺攻略戦を背景に、毛利家最強の知恵者小早川隆景と、信長が謀略戦を繰り広げる。
 
 本能寺で横死するまでの50年の生涯で、信長最大の敵だったのが一向一揆の総本山石山本願寺である。一向宗は狂信的な仏教の一派で、戦国時代に猛威を振るった。加賀ではほぼ一国を支配してしまったし、三河では徳川家康すら負傷させられている。信長もこれには手を焼き、伊勢長島ではすべてを焼き尽くすほど厳しい措置をとった。
 
 現在の大阪にあった本願寺は10年以上信長の攻囲と戦った。ハイライトは本願寺に補給物資を運び込む村上水軍とこれを阻止しようとする九鬼水軍の海戦であり、本書も村上水軍に九鬼水軍が圧倒された第一次木津川口海戦で幕を開ける。
 
 村上水軍の投擲型の焼夷弾(焙烙玉という)にやられたことから、鉄甲船の開発配備を信長は命じる。この開発プロジェクトに対して毛利の工作員が破壊工作をし、最後は信長の命さえ狙う。これを信長とその配下(森蘭丸滝川一益九鬼嘉隆)らがどうしのぎ、戦うかというのが本書のメインストーリーである。
 
 ミステリーとして暗号やスペインのギャロットに似た凶器のトリックなどがちりばめてあるが、これらはマニアにとっては難しいものではない。それより、戦国時代を背景にしたIF小説として肩ひじ張らずに読むのがいいでしょう。

圧巻の山岳冒険ストーリー

 冒険小説の重鎮ジャック・ヒギンスの諸作は大好きでまだ何作か残っているのが楽しみなのだが、彼が「比類なき傑作」と評したのが本書である。ボブ・ラングレーという作者の名前は何度か聞いたことがあるが、読むのは初めてだろう。背景や主人公を代えた10作あまりの冒険・戦争小説があり、半分くらいは邦訳されているようだ。

 
 物語の舞台はアイガー北壁、クライマーが目指す難関のひとつ・・・というより聖地といってもいいところ。原題にもなっている「Traverse of the Gods」(神々の横移動場)で、クライマーがドイツ軍人の死体を見つけたことから第二次世界大戦中ここでナチスが作戦を展開していたことがわかる。死体はエーリッヒ・シュペングラーと記された騎士十字章(表紙の絵)を持っていた。シュペングラーは戦前有名なクライマーだったが、機甲師団下士官として各地を転戦した英雄でもある。

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 時間は1944年に戻り、ヒトラーの極秘任務が描かれる。特殊部隊の司令官スコルツェニー少佐が、シュペングラーらのクライマーを集めて登山の訓練を始める。その中には、クライマーでもあり糖尿病専門の女医ヘレーネも加わっていた。彼らの任務はユングフラウヨッホ頂上近くの研究施設で進められている米国の原爆開発計画を、主任研究者のラッサー博士とともに横取りすること。当然スイスやアメリカの警護兵はいるので、登山能力の高い軍人で奇襲する作戦だ。またラッサー博士は糖尿病患者なので、連れ帰るには専門医が必要だった。
 
 シュペングラーを指揮官(少尉に昇進している)とした部隊は、ユングフラウにグライダー降下し首尾よくラッサー博士を拉致する。ユングフラウヨッホまではアイガーの山腹をくりぬいた鉄道が走っていて、彼らはそのトンネルを下るのだがクライネシャイデックから登ってくる警護隊に阻まれてトンネルを出、吹雪の中アイガー北壁を登ることになる。そこではすでに敵は警護隊や応援の米兵ではなく、山そのものである。シュペングラーは全員に武器を捨てさせ、死力を尽くして山に挑む。
 
 普通書評が「傑作」と言っても「???」のこともあるのだが、本書は確かに傑作である。大事な原爆開発研究をドイツ人の多いスイスでやるとは思えないし、山岳知識のない僕には少々クライミングの描写が精緻すぎるのだが、それを補ってあまりあるサスペンスフルな展開に感動した。ミステリーではないのですが、「意外な結末」にもすっかりやられました。この作家、もっと読みたいです。

ダルグリッシュ警視の影

 世評の高いミステリー作家でも、僕個人が苦手にしている人は何人かいる。その中で代表的なのが、本書の作者P・D・ジェイムズ女史(Phillis Dorothy James)。生涯で20作ほどのミステリーを書き、3度英国推理作家協会のシルバーダガー賞など多くの受賞歴があり、大英帝国勲章中等勲章士・一代限りの女男爵(Baroness)称号を送られている。

 

 文章が非常に美しく、イギリスの特に田舎町の情景に定評がある。実は僕の苦手なところがここなのだ。大学時代に、シルバーダガー賞受賞作「黒い塔」を読み始めた。巻末の解説には「50ページを我慢して読み続けると、その後視界が開ける」とある。僕は50ページの我慢が出来ず、「黒い塔」はめったにない「読み切れなかった本」となってお蔵入りした。

 

 したがって、名探偵アダム・ダルグリッシュ警視にはお目にかかっていなかった。ちょっと変化球をと思って、もう一人のレギュラー探偵コーデリア・グレイのデビュー作である本書(1972年発表)を手に取った。翻訳者が「弁護側の証人」の作者でもある小泉喜美子だったことも、読んでみようと思った動機の一つだ。

 

 22歳のコーデリアは元刑事のバーニイの探偵事務所で働き始め、すぐに共同経営者になった。しかし癌を宣告されたバーニイが自殺してしまい、彼女は一人で探偵事務所を続ける決意をする。そこに持ち込まれたのが、科学者カレンダー卿の息子が自殺した件で動機を探ってくれというもの。

 

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 マーク・カレンダーは優秀な大学生だったのに突然中退、庭師の家に住み込んで修行を始めた。しかし数カ月で首つり自殺したというもの。コーデリアは彼の死の背景を探るうち殺人ではないかと思い始める。

 

 コーデリアはバーニイに教えてもらった捜査法を忠実になぞるが、それはバーニイの上司だったダルグリッシュがかれに教えたものだった。コーデリアは会ったこともないダルグリッシュ警視の影に導かれて捜査する。確かに情景描写などが長く、章の区切りも極端に少なくて読みにくい。それでも我慢して読み続け、最後の20ページで突然登場する警視に会えた。

 

 コーデリアは警視への想いと恨みを爆発させ「バーニイを追い出しておき、葬式にも来なかった」となじる。この部分、訳者は翻訳しながら涙が止まらなかったという。うん、確かに面白かったです。苦手ですが、もう少し作者の本を探してみましょう。

主任警部のクロスワード

 本書は一時期アガサ・クリスティーの後継者とも評された本格ミステリー作家、コリン・デクスターの第三作。しばらく前にデビュー作「ウッドストック行き最終バス」と第二作「キドリントンから消えた娘」を読んだのだが、ちょっとコメントを書く気にならず残りの数冊も読まずにいた。ところが先日、平塚のBook-offで大量にハヤカワ・ポケットミステリーが手に入って、その中に本書を含めたコリン・デクスターの著作が数冊あった。

 

 前二作同様ロンドンから少し離れた街オックスフォードを舞台に、地元警察のモース主任警部が活躍する物語である。僕はこのあたりの土地勘がないのだが、容疑者のひとりがパディントン駅から列車に乗って1時間20分くらいでオックスフォードに戻っているところから、東京・小田原くらいの距離だろうか?

 

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 海外からの留学生の検定試験をつかさどる委員会で新任のクイン審議員が、自宅アパートで毒殺されているのが発見される。死後2~3日経っているようで、3日前の金曜日午後以降見かけた人がいない。クイン青年は好人物で敵も見当たらないことから、モースは海外留学生の検定に関する不正が背景にあるのではと考える。

 

 冒頭欠員が生じた審議員の補充を、数人の候補者から選抜する関係者の議論が面白い。クイン青年は優秀だがひどい難聴で、ほとんど耳が聞こえない。ただ読唇術に精通していて、普通の会話に不自由はない。もう一人の健常な候補者を推す審議員に事務局長が、「当機関は税金で運営されている。同じ能力であれば障碍者を雇用すべきだ」と言ってクイン青年を採用する。ミステリーとしての本筋ではないのだが、留学生の選抜検定や障碍者雇用のスタンスがこの時点(1977年)で確立しているのは、さすがに大英帝国だと思う。

 

 ミステリーとしては、関係者が限定されている中でいかに意外な解決をするかという工夫が強くみられる。モース警部も部下を連れて飲み歩いたり、独り言のような推理を繰り返すばかりであまりアクティブではない。ラスト80ページ(文庫で100ページ相当)でのどんでん返しは鮮やかなのだが、手掛かりが英語の発音だったり単語なので、日本人には難しいトリックだ。

 

 作者はクロスワードパズルの鍵を作る名人で、3年連続チャンピオンになっているという。なるほど言葉のトリックがうまいわけだ。前二作もそうだったのですが、どうも解決部がわかりにくいです。まあ、残りの何冊かはそういう点に気を付けながら読んでみます。