新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

マサチューセッツ総合病院、1969

 本書は「緊急の場合は」でデビューし「アンドロメダ病原体」で一世を風靡し、のちに「ジュラシックパーク」を始めとするベストセラーを生んだマイクル・クライトンの第三作である。ただ本書はミステリーでもSFでもなく、米国の医療体制・病院などの実態を描いたノンフィクション。

 

 クライトン自身、ハーバードを卒業してマサチーセッツ総合病院に勤務していた。本書は後に、TVドラマ「ER緊急救命室」の原案にもなった。内容は5章に分かれていてある患者の診療・治療を記しながら各章で、医療の歴史や現状を解説している。

 

 最初の章では、救急棟での日常が紹介されている。卒倒した患者、虫垂炎の患者、「爪のささくれを切ってくれ」という要求・・・などあらゆる相談が持ち込まれる。建設現場で事故があって6人のケガ人が運び込まれた喧騒で、日常が吹き飛んでしまう。この救急棟には8分に一人の患者が来て、30分に一つの主日が行われている。

 

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 第二の章では、原因不明の高熱を発した患者の1カ月の経過を紹介して、米国の医療費について述べている。1940年に入院費は$70/日だったものが、1969年には$700/日に高騰している。これは医療設備等の充実もあるが、医療そのものが高価になっていると言っている。(もちろん今はもっと高額だ)

 

 第四の章では、ボストン空港で胸の痛みを訴えた乗客に医師が遠隔診療を行った例を挙げ、コンピュータの活用について今後の見通しを述べている。まだインターネットもPCもない時代なのに、今でいうAI(人工知能)が患者とやりとりして治療法を考える「オートメ化」についても考察している。

 

 このような「オートメ化」を医師も患者も容易には受け入れないだろうとしながら、「実際は医師にも患者にも有益なのだ」と結論づけている。1990年に著者は改めて本書に前書きを付記したが、その中に「1970年に1,000万ドルだったコンピュータが、1980には2~3万ドルに、1990年には200~300ドルになった」とある。医療分野のデジタル化は、著者の想像以上に進んだということだ。

 

 ヒポクラテスに始まる医療の歴史、1890年ころの病院の考え方「不治の病は治療しない」、医学生の教育と治療のバランスなど、本書でいろいろ勉強させてもらえました。

一生に一度の機会

 深谷忠記は、「壮&美緒シリーズ」の合間に年1作程度「ノン・シリーズ」を発表している。「壮&美緒シリーズ」は地方色の強いアリバイ崩し中心の本格ミステリーだが、ライバルとも言える「浦上伸介シリーズ」の方が僕は好きだ。しかしこの作者にはパターン化しない独特の作品があり、時々素晴らしいものに巡り合うことがある。本書はそんな1冊、大学生のころ一度読んだのだがその良さが分かったのは40年後である。

 

 副題「長屋王の変異聞」とあるように、時代は730年ごろ。「壬申の乱」が終り天武天皇が政権を握った後亡くなり、女性天皇を何代か経て天武の息子、高市皇子派と草壁皇子派が覇権争いをしているのが平城京の現状である。高市皇子の子長屋王左大臣の要職にあり、急速に台頭してきた藤原一族と対峙している。

 

 とはいえ長屋王に政務能力があるわけではなく、文化にいそしむ趣味人である。世を治めるとして、大般若経600巻を写経させ自ら巻末文を添えた。ところがこの巻末文に不用意な表現があり、後に彼を破滅に追いやることになる。天皇家に対する不遜とも取れる表現があることを清書した下級官吏の東人は知り、藤原氏に誘われて長屋王への讒訴に手を貸す。

 

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 現代よりもずっとひどい格差社会、東人は優秀だが低い身分の生まれなので出世できない。この厳しい格差社会についての解説が、生々しい。東人は普通は越えられない五位の壁を越えるため、一生に一度の機会として藤原氏の誘いに乗ったわけだ。

 

 もう一人「一生に一度の機会」を得た人物がいる。天武天皇の第10皇子の新田部である。彼は長屋王への讒訴があるとの情報を得て、ひどく迷った。配下の兵士を動員して長屋王の身柄を守り、陰謀をめぐらす藤原氏を討って政権を奪う機会が転がり込んできたのだ。しかし彼は動かず、翌朝藤原氏の軍勢が長屋王の屋敷を包囲、王を自刃に追い込んでしまう。

 

 新田部は死にあたり、子供達には「何もするな、成り行きに任せよ」と遺言しながら自らの選択を後悔しつつ息を引き取る。一方東人は五位下の官職に就いたものの家族を疫病(長屋王の祟り?)で失い、自らも長屋王の部下だった人物に斬殺される。「一生に一度の機会」を掴んだものも見送ったものも、自らの人生を悔いて死を迎えたわけだ。

 

 「千載一遇の好機」と見えるものをどう考えるか、人生の重い命題を突き付けるのが作者の意図ですが・・・とても答えられませんでした。

鬼才の本格ミステリー

 ジョン・スラデックは米国の作家、SFやミステリー・ノンフィクションも書いたが、いずれもパロディ色の強いものだという。面白いのはSF長編に1983年発表の「Tik Tok」という作品があること。今、米中間で問題になっているサービスとの関係は不明だ。

 

 ミステリーとしては、本書(1977年発表)をはじめ米国人素人探偵サッカレイ・フィンが活躍する長編を5編ばかり残した。これに先立ち1972年に発表した短編「見えざる手によって」は、ミステリ・コンテストで優勝した作品である。これらの作品についての評価は、特に本格マニアの間で非常に高い。本書の解説は「本格の鬼」ともいえる鮎川哲也

 

・犯人の隠し方

・叙述のフェアさ

・伏線とミスディレクション

 

 のいずれもが満点の鬼才だと持ち上げている。密室殺人が出てくるのだが、そのトリックなどは奇術師クレイトン・ロースン並みで、長編テクニックとしてはロースンよりずっとうまいという。

 

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 舞台は英国、35年前の第二次世界大戦中に結成された<素人探偵7人会>、富豪の婦人・准男爵・化学者・軍人・弁護士・警官・画家だったのだが、今(1975年ころだろう)皆高齢となり、准男爵は死亡したと言われている。

 

 その中で軍人だったストークス老人はロンドンのアパートで独り暮らしだが、愛猫を殺されたり陶器を割られたり嫌がらせを受けていた。どうも「グリーン」という者のハラスメントのようだ。ある日彼はトイレの中で息絶えていた。小さな換気口以外は完全な密室、基礎疾患のある老人だったが何が彼を殺したのかは不明だ。<7人会>のひとりフエアロウ婦人は、他の6人の周辺にも「グリーン」の影がちらつくとして、米国はフィンらを呼び出す。

 

 地元警察が手をこまねく中、フィンは<7人会>の子供や甥・姪らにも事情聴取をするのだが、元警官のダンビ氏も、フェアロウ婦人も殺されてしまった。フィンは残り30ページになって関係者を一堂に集め、事件を解決しようとする。

 

 手法は古い本格ミステリー、パロディの匂いも多い。しかし解説に言うようにトリックや手がかりはかなり秀逸な出来である。ひょっとすると高校・大学生時代に読んだら狂喜していたのではないかと思う。僕自身が変わったのだろうし、この辺りが「本格」の限界なのかもしれない。どうしても「造り物」の印象をぬぐえませんでした。面白かったのは確かだけれど・・・。

モサド副長官の娘

 先日藤沢のBook-offで、NCIS(ネイビー犯罪捜査班)のシーズン4と5、9を見つけた。これで安心してシーズン3を見ることができる。貧乏性の僕は、これが最後・・・と思うと固まってしまって前に進めないのだ。

 

 シーズン2を見終わって数カ月たつ。最終話でレギュラーヒロインだったケイトリン・トッド捜査官が、テロリスト(というか三重スパイ)のアリに狙撃銃で撃たれて殉職してしまった。アリは何度もチーム・ギブスに煮え湯を飲ませた相手、ケイトリンにほのかな愛情を寄せていたトニーも何としても敵を討ちたいと思うはずだ。

 

 シーズン3の最初の2話は「アリを殺せ」というストレートな題名、そこで登場するのがモサド副長官の娘ジヴァ・ダビードである。アリももともとイスラエル人、モサドからイスラムテロ組織に潜入したはずだが、二重スパイになったともいえるし三重スパイかもしれない。モサドは彼を、米国内で殺人犯として拘留させるつもりはなく、中東での任務に戻そうとする。

 

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 一方で、チームにはアリのものとも思える攻撃が続く。アビー分析官の実験室も狙撃されたし、マラード検視官も銃口の前に呼び出される。ギブスが自分を囮にしてアリをおびき寄せるのだが・・・。

 

 このシーズンからチームに加わるのが、ジヴァ。やがてちゃっかりとケイトリンの席に収まってしまう。やや英語が怪しく言い間違えをしたり、米国の風習に戸惑うこともある。ギブスは最初彼女を「捜査官ではない。スパイと暗殺が専門の女は要らない」というが、やがて戦力として認知し始める。

 

 子供のころから格闘、射撃などに精通、いつも拳銃2丁と長めのナイフを携行し、躊躇することなく敵を殺す(倒すではない)。とぼけた味と凶悪な殺人技、微妙な役どころをチリ生まれの女優コート・デ・パブロが好演している。

 

 僕がこの番組を機中のエンターティメントで見始めたのは7~8年前、多分シーズン6くらいからだったと思う。その頃のメンバーにおおむねなったのがシーズン3、楽しんで見ることができました。さあシーズン6~8も懸命に探しますよ。

古代ケルトの「ブレホン法典」

 7世紀のアイルランド、そこは非常に人道的な法体系が整備され、市民が権利を主張できる公正な裁きの場があったと本書は紹介している。当時のアイルランドケルト人の国家だった。多くの部族が緩やかな連携を保っていて、外来の侵略者があればこれと共同して戦うこともあった。何より部族に共通していたのが、古代とは思えない法制度。「ブレホン法典」を修めた法学者が、公正な裁きを行っていたという。

 

 ピーター・トレメインの「修道女フィデルマ」シリーズの5作目が本書(1997年発表)だが、日本語版が出版されたのは本書が最初である。マンスター地方を治めている王の妹で、修道女でもあり法学者でもある美女フィデルマが主人公。物語はマンスター地方の中心都市リス・ヴォールの法廷で始まる。隣接するアラグリン地区からやってきた農場主とその甥が争う裁判を、フィデルマが裁く。農場主は甥を奴隷のように使役していて、甥は正当な農地の分与を求めて訴え出たのだ。

 

 フィデルマは農場主の無法を暴き甥の訴えを認めるのだが、そこにアラグリン地区の族長が殺害されナイフを持った三重苦の男が捕まったとの知らせが入る。アラグリン地区には適切な法学者がおらず、フィデルマはサクソン人の修道士エイダルフを伴って事件解決に派遣される。

 

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 出没する家畜泥棒、宿屋を襲撃する集団、山奥の洞窟に集まる不逞の輩にアラグリンの族長一家の複雑な人間関係がからんで、事件は混とんとしてくる。さらに新興宗教キリスト教が普及し始めていて、古代の宗教とのあつれきも見られる。三重苦の青年の無実を信じて彼の証言を得ようとするシーンが印象的だ。

 

 上下巻約600ページに20ページ以上の脚注がついて当時の言葉、宗教、風習などを参照することができる。この点を含めて古代ケルト文明にどっぷり浸れる書である。その上本格ミステリーであり、最後は関係者を族長の城(ラーという)に集めてフィデルマが推理を順々に語りながら犯人を指名する古典的なスタイルでもある。このシリーズ、とても面白いですね。もっと探してきましょう。