新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

組織の中で生きる術を学ぶ

 中学生の時、国語の先生に「Xの悲劇」を紹介してもらってから欧米ミステリーにハマった僕だが、それ以前はと言うと「時代小説」をよく読んでいた。そのなかでも最初(の頃)に読んだのが本書。大家司馬遼太郎が「小説中央公論」に1962年に連載した、15編の短編を集めたものである。

 

 新選組は京都で猛威を振るう一方、隊士の大半が明治を生きて迎えられなかった悲劇の集団でもある。いわば「幕末の徒花」のような組織だ。局中法度が厳しく、私闘・金策・訴訟扱・脱走を許さないほか「士道ニ背キマジキコト」とあって、土方副長の「士道不覚悟!」の一言で、多くの隊士が切腹・斬首の刑に遭った。

 

 本書にもあるように食い詰め浪人や討幕派の間者、手柄やカネにどん欲な連中が集まってくる暴力組織である。内規を厳しくしなければ、持たなかったことも確かである。また内部抗争も激しく、初代筆頭局長芹沢鴨御陵衛士を分派した参謀伊藤甲子太郎、軍学者武田観柳斎らは近藤・土方・沖田らの主流派に暗殺されている。

 

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 近藤らの主流派は、幕府が京都治安のために集めた「新徴組」の中ではマイナーな一派。それが「武士になりたい」との意志と謀略・剣技によって数百人の組織のTOPに収まるようになる。本書の15編は、新選組ではなくその隊士一人一人に焦点を当てたもので、鬼の土方副長は全編の脇役として登場する。沖田が主人公のものが2編あるのが例外で、近藤局長すらも1編の主人公を務めるのみ。

 

 極めて冷酷で、血なまぐさい話ばかりなのだが、根底に流れるのは人間の欲と猜疑心、あるいは信念である。主流派に近い存在でも、隊内政治と距離を置いて生き延びた斎藤一原田左之助。特技をもって参加し重用されながらも、近藤らにこびを売って自滅した谷三十郎や大林兵庫。こうした人たちの「組織のなかでの生き様」が、当時中学生になるかならぬかだった僕の脳裏に刻まれている。

 

・組織内で地歩を築くには特技が必要

・組織の長におもねる者は、他のそねみを買って滅びる

・自分のやりたいこと、やるべきことに心血を注ぎ、余計なことには口を挟まない

 

 という先人の知恵を、本書から教えられたと思う。50年ほど前に読んだのだが、いくつかのフレーズは記憶にありました。懐かしい思い出でした。

倒叙のような倒叙でないような

 リチャード・ハルという作家は、長編ミステリー15作を発表しながら、邦訳されたのは3作だけ。

 

1935年 伯母殺人事件

1935年 他言は無用(本書)

1938年 善意の殺人

 

 「伯母殺人事件」はデビュー作ながら、大きなセンセーションを巻き起こした作品で、いまでもミステリーベストの常連だが、実は僕は読めていない。学生時代創元推理文庫を読み漁ったのだが、そのころには絶版になっていて「名のみ知られた名作」となっていた。後に再版されたかもしれないが、僕はまだ巡り会えていない。第二作の本書はしばらく前に買って「伯母殺人事件」の次に読もうと思っていたのだが、それが見つからない。辛抱できなくなって読むことにした。

 

 舞台はロンドンの社交界、ホワイトホール・クラブ。豪華本・家具・調度・食材・ドリンク類が揃った、上流階級のためのクラブである。ロンドン一の美食が堪能できると評判のクラブの幹事(支配人のようなもの)フォードは困っていた。先日鼻つまみ者会員のモリソンが、スフレを食べて急死。料理長が持っていた外傷用の軟膏が、間違って食材に入り込んだせいかもしれない。フォードと医師会員のアンストラザーは「心機能障害」の自然死として本件を隠ぺいするのだが、何者かがそれを察知しフォードに脅迫文を送ってきているのだ。

 

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 要求自身は他愛もないものが多い。最初は「木曜日のメインはタラの丸揚げにしろ」と言われ、フォードは屈服はしないとの意志を込めて「タラの切り身揚げ」にした。続いては、

 

・ブリキのお盆が古すぎる。新しく木製にしろ。

・掛け時計が2分進んでいるから直せ。

 

 などと言ってくる。やがて脅迫者はクラブの運営にも口を出し、

 

・図書室の書籍が確実に戻ってくる方策を考えろ。

・委員会で機能していないものを廃止するなど再編しろ。

 

 という。確かに豪華本が消える事件は多発していたし、委員会は形骸化している。フォードが対策をためらううち、モリソンの敵役だった会員がまたクラブ内で急死した。最初は通常のミステリー調なのだが、途中で殺人犯人が現れて倒叙ものになってしまう。しかもそのまま、倒叙ものの常識で終わらないのは作者の「技巧派」たるゆえん。

 

 とても面白く、上流階級や社交界を皮肉るブッラク・ユーモアが満載でした。これはどうしても「幻のデビュー作」を探さないといけないようです。

三度映画化されたSFホラー

 リチャード・マシスンという作家の作品を、紹介するのは初めて。1953年から半世紀以上に渡って脚本・小説を書き続けた作家で、僕は短編「激突」をTVで見て出会った。

 

◆激突(1971年)

 ・監督 スティーヴン・スピルバーグ

 ・主演 デニス・ウィーバー(マクロード警部もので有名)

 

 田舎道でふと追い抜いた大型トレーラーに、執拗に追い掛け回されるセールスマンの話。恐るべき迫力で迫るトレーラー(あおり運転)だが、最後まで運転手は登場しない。

 

 スピルバーグの演出もさることながら、小説も読んでこの作家のサスペンスを産む術には敬服した。そこで、作者の初期の作品だが本書を買って読んだ。当時SF嫌いだった僕に「こんなSFもあるんだ」と気づかせてくれた書でもある。これまで3度映画化されていて、

 

◇地球最後の男(1964年)

 ・主演 ヴィンセント・プライス

◇地球最後の男・オメガマン(1971年)

 ・主演 チャールトン・ヘストン

◇I am Legend(2007年)

 ・主演 ウィル・スミス

 

 と、いずれもヒットしたという。時代設定は1976年、地球が正体不明の感染菌に侵され、多くの人が吸血鬼になってしまった町で、ネヴィルは一人人間として生き残った。

 

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 吸血鬼たちはネヴィルを狙うのだが、日光下では行動できない。夜間のうちは発電機や冷凍庫を備えた強固な家がネヴィルを守ってくれる。日が昇るとネヴィルは食料やガソリンなどの調達(商店は全部無人だから持ってくるだけ)をし、日陰で眠っている吸血鬼を見つけるとその心臓に木杭を打って殺す。

 

 夜ごと人間だったころは近所の友人だった男が「ネヴィル出てこい」とわめきまわり、孤閨を囲うネヴィルに吸血鬼の女があられもない姿を見せる。それでもネヴィルはウィスキーを傾けて夜を過ごし、起きだすと木杭を集める。

 

 そんな一人ぼっちの日々を送るうち、ネヴィルは専門家でもないのだが手に入れた顕微鏡や文献で吸血鬼菌の正体を探り始める。偶然迷い込んだ菌に侵されていない犬は死んでしまったが、ある日ネヴィルは日中歩いている女を見つける・・・。

 

 吸血鬼がなぜニンニクや十字架を嫌うかの解説もあり、とても面白いSFホラーだと最初の邦訳「地球最後の男」で知りました。でも今は原題の方がいいですね。最後のページでこの言葉のインパクトが強かったですし。

女王初期の短編集

 女王アガサ・クリスティーは、1920年代にはまだ手法が完成しておらず、ポワロ&ヘイスティングズ本格ミステリー、トミー&タペンスの明るいスパイものなどを取り混ぜて長編小説を発表していた。正直後年の作品集に比べると、単発ものの「アクロイド殺害事件」以外は影が薄い。

 

 一方短篇集はというと、ポワロと並ぶ名探偵ミス・マープルは1930年「牧師館の殺人」でデビューはしたものの、レギュラー探偵になるのはそれより10年以上たってから。パーカー・パインやクィン氏の短編集もあるのだが、初期の頃には女王の短編と言えばどうしてもポアロものが中心になる。

 

 本書には1924年までに発表された、1ダースのポアロヘイスティングスの短編が収められている。いずれも「本格」の謎解きものではあるが、テーマも長さもバラバラ。「誘拐された総理大臣」が30ページを超えるくらいで、15ページほどの短いものもあって、ちょっとお茶1杯の間に読めるような肩の凝らないものばかり。

 

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 改めて全部読み返してみたが、初期の長編で目立つポアロの(英国紳士から見ての)破天荒さはあまり感じられない。探偵役をそのままホームズ&ワトソンに変えても、あまり違和感がないようなストーリーばかりだ。

 

 「シャーロック・ホームズのライバルたち」という短編集は一杯あって、作者はいろいろと趣向を凝らした。謎は解くが解決はしない「隅の老人」、全盲の探偵「マックス・カラドス」、CSIの先輩格「ソーンダイク教授」、西部開拓の勇者「アブナー伯父」などなど。そんな中でも、ポアロヘイスティングスは、ベルギー人のキザな小男の探偵で「灰色の脳細胞」と唱え続ける以外は、ごくごく本家に近い存在のように思う。

 

 ここに挙げた探偵たちの多くが1910年代までにデビューしていることからも、ポアロヘイスティングスは「最後のホームズ譚のライバル」と言えるように思う。現に女王自身、中期以降のポアロものにはヘイスティングスを登場させず、意表を突く推理と言うよりは人の内面に切れ込むような何かを盛り込むようになっている。

 

 50年ぶりくらいに読んだ本書、懐かしくもあり古めかしくもあり、でしたね。

オカルトと科学の融合

 本書は、以前紹介した東野圭吾の「ガリレオシリーズ」の第二短篇集。1999~2000年の間に<オール読物>に掲載された5編が収められている。TVシリーズのように女性刑事は登場せず、大学時代の同級生草薙刑事からもちこまれる「怪事件」を湯川助教授が解決するという物語である。短編としての制約もあるから、レギュラー登場人物は限定せざるを得ない。湯川先生は一見奇妙な実験や装置、あるいは言動をするのがシリーズの面白さなので、そちらに紙幅を割くためレギュラーは草薙刑事ひとりで十分なのだろう。

 

 本書の5編も前作にも増してオカルトっぽいスタートである。曰く、

 

・その娘が生まれる前から「モリサキレミ」と結婚すると言い続けた青年

・酔眼でも恋人の姿を見たように思った時、彼女は殺されていた。

・行方不明の夫が最後に訪ねたらしい家に起きるポルターガイスト現象

・夜、町工場の窓に浮かびあがった火の玉と、絞殺された死体の関係

・首つり自殺を目撃された娘は、2日前にも首つりをしていた。

 

 という現代の怪奇現象を、天才物理学者「ガリレオ」が解き明かす。

 

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 どうしても福山雅治の印象が強いのだが、本編の湯川助教授はもう少しトボけた味がある。むろん「トボける」のは、仮説を簡単に話さないという伏線(作者からすると読者を欺くいいわけ)にもなっている。仮説・・・そうすべては仮説なのだ。オカルトっぽい状況に対し、湯川はいくつかの仮説を立てる。

 

 「ここにいても始まらない」と研究室を出て、すでに警察が調べつくした現場を独自の視点で見て回る。解決後礼を言う草薙に「僕は自分の探求心を満足させたかっただけだ」とツレなく言い放つのも含めて、ドライな雰囲気は正統派名探偵である。探求心とは、仮説を立証したいという心のことだろう。

 

 もちろん彼は官憲ではないので証拠を固めて起訴するために・・・などと言う努力はしない。仮説を立証すればいいのだ。そこで思ったのは「ほかにも仮説はないか」ということ。これまでの10作品、ほとんどが犯人の自供で終わっている。湯川先生の示した仮説は、実証したとしてもそれが事実かどうかは自供に頼っているわけだ。

 

 このタイプの名探偵は長編には仕立てづらいものです。それでは湯川先生の長編版を探しに行ってきましょうかね。