新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

国内旅行のためのガイドブック

 今週ご紹介している「日本地図シリーズ」、最後はお城である。昨日の「大名の日本地図」にあったように、1~3万石クラスの小大名だと城は持てず陣屋が精々だった。それでも100位の藩は城持ちだったし、天領(幕府直轄地)にも城/城跡はある。本書では100の城を各2~4ページかけて紹介している。戦国時代後期に築かれたものが目立つが、江戸時代になってから完成もしくは改良されたものも少なくない。珍しいものとしては、幕末に対ロシア戦を想定して造られた松前城五稜郭がある。

 

 築城からは500年ほど経っているのが普通で、城が作られた時のままというのはごく少ない。一番凄いのは高知城(土佐山内家)、天守を始め本丸御殿や曲輪、櫓など本丸の全てが現存している。世界文化遺産に登録されている姫路城(酒井家)でも、一部曲輪などは失われている。ただ姫路城の規模は現在の数倍はあったようで、外郭のほとんどが市街地となってしまっている。

 

        

 

 お城といえば建造物はまず天守閣だが、取り上げられた100例の約半分は失われたか、もともと存在しない(*1)。天守閣が残存しているのはほんの数例だから、その他は模擬/復元天守である。

 

 ただ、天守閣以外にも見どころは多い。仮想敵の侵攻路を想定した備えをしたり、侵攻路そのものを制限するために、堀を掘ったり天然の崖や川、入江などを利用するのだ。戦闘用としての城の価値は、おおむねこういった縄張りによって決まる。敵兵力のキルゾーンをどこに置き、そこに敵兵を誘導するかが築城テクノクラートの腕の見せ所である。戦国の築城名人として藤堂高虎の名前が上がるが、彼の独創的な縄張りを歩いてみるのもいいだろう。

 

 本書は国内旅行をする際の、いいガイドブックとも言えます。特に僕のような旅行好きの戦争ヲタクにとってはバイブルのようなものです。大事に本棚に収めて、旅行に行く前の予習材料としましょう。

 

*1:例えば躑躅ケ崎館、五稜郭

全国280箇所の「地方政府」

 「日本地図シリーズ」第三弾は、幕末期の大名と藩に関するもの。著者の中嶋繁雄氏は歴史ノンフィクション作家。「廃藩置県」の前には、天領の他に全国に約280の藩が存在した。地方政府でもあったこの組織群について本書では、

 

・当主と明治政府での地位(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)

・石高、人口、家臣数

・城もちか否か

 

 を示し、当主の卒爾や徳川時代の内政(特に財政改革)や幕末期の行動について記している。徳川幕府は強大な外様大名は江戸から遠くに置き、近隣には譜代の比較的小さな大名を置いていた。それゆえに関東圏には数万石の小大名が多い。上記のデータから藩の運営にあたっての概算ができる。

 

・1万石あたりの人口は、約1万人(米作以外の産業の多寡によって倍程度にはなる)

・1万石あたりの家臣数は、約100人(家族を除く)

・1~3万石程度の小大名では、城は持てず「陣屋」どまり

 

        

 

 時代劇で剣豪が大名家の家臣を50人ばかりぶった切るシーンがあるが、小大名なら壊滅してしまうわけだ。あと領地の政治を明治新政府が任命する県知事に奪われてしまった藩主は、爵位をもらって貴族となった。その爵位にもいくつかの基準がありそうだ。

 

・公爵 水戸徳川家(35万石)島津家(73万石)毛利家(37万石)だけ。新政府樹立に功績大の雄藩ということ。

・侯爵 尾張徳川家(62万石)紀州徳川家(56万石)前田家(102万石)黒田家(52万石)などの雄藩。土佐山内家(22万石)が入っているのは、上記の功績大のゆえ。

・伯爵 伊達家(63万石)など、おおむね10万石以上の大大名。

・子爵 10万石以下の大名はほとんどこれ。会津藩は28万石だったが最後まで新政府に楯突いたので1階級ダウンされたようだ。

・男爵 1万石クラスばかりで非常に少ない

 

 徒歩や馬程度の機動力では、このくらいの規模がガバナンスできる単位だったのでしょう。今では47都道府県でも、小さすぎるという意見もあって「廃県置州」を唱える人もいますが。

どうしてそこが戦場になったか

 本書は、昨日に引き続き「日本地図シリーズ」の第二弾。同じく武光教授に加えて、合戦研究会の皆さんが著者に加わっている。そこそこの勢力同士がぶつかり合ったものを合戦と定義しているようで、戦場が海外のものは除かれている。巻末にある日本合戦史には、磐井の叛乱(528年)から箱館戦争(1868年)までの100余りの合戦が列挙してある。その中から、20の主だった(日本史として影響の大きかった)ものを20選んで背景と戦闘推移、その結果を詳述している。

 

 多くの合戦は僕にっては既知のものだが、どうしてそこが戦場になったかを考えると「地図」の意味が出てくる。2つの軍事勢力が有りその衝突が避けられない時、どうしてその舞台が選ばれるのか、いくつかのパターンがある。

 

        

 

1)京都への道

 関ケ原の合戦(1600年)が代表的なもので、東軍が大阪・京都を目指し西軍がこれを阻もうとしたケース。関ケ原では壬申の乱と2度の「天下分け目の決戦」が行われている。鳥羽・伏見の戦い(1868年)は、京都までが戦場になった。山崎の合戦(1582年)も、淀川と天王山に挟まれた隘路の出口で明智軍が羽柴軍を迎え撃った。

 

2)港の争奪戦

 水軍がからむ闘いでは、港周辺が決戦場になる。源平合戦の一の谷、屋島(1184~85年)もそうだし、湊川の戦い(1336年)でも九州から海路攻め上った足利軍が朝廷側を打ち破った。技術進歩で北の港が軍事拠点になり独立国を宣言するまでになった箱館戦争も、その中に入れていいだろう。

 

3)大軍を閉じ込めての奇襲

 厳島の合戦(1555年)と桶狭間の戦い(1560年)は、大軍が布陣する島や丘に少数勢力が奇襲をかけて打ち破ったもの。大軍ゆえに混乱すると身動きが出来なくなる。倶利伽羅峠の合戦(1183年)もその例に加えられるかもしれない。

 

 その他、勢力争いの焦点(川中島長篠城)や孤立勢力が頑強に抵抗したところ(会津戦争島原の乱)も戦場となりました。地図で見る合戦史、面白かったです。

おクニはどちらですか?

 以前文書新書の「世界地図シリーズ」を何冊か紹介した。今日から4日間、おなじ文春新書の「日本地図シリーズ」で書棚にある4冊を紹介したい。初日の今日は、県民性もしくは地域性に関するもの。著者の武光誠氏は、明治学院大学教授で専門は歴史哲学、思想文化研究家でもある。

 

 冒頭「日本は単一民族、言語、文化の国家」という俗説を、著者は否定する。これは明治政府が出来てから、権力者の手で意図的に広められたものとある。古代の日本列島には「盆地世界」が方々に産まれて、そこから文明社会が始まっている。内陸のものが小盆地、海岸沿いのものが小平野。小盆地61箇所が例示されているが、僕に縁のあるところ(東京都~神奈川県~静岡県~愛知県)には1箇所、秦野盆地があるだけだ。このエリアには、小平野が多い(富士裾野など7箇所)。全国の小平野は54箇所示されている。

 

        

 

 全国100箇所以上の山や丘陵に囲まれたエリアで文明は起こり、徐々につながっていった。一般人にとっては、近代になっても「国」といえば精々旧国名(例:遠江駿河・伊豆)のレベルまで。気候や豊かさが異なることから、さまざまな県民性が生まれている。

 

 某省の関係で地方を回る会合に行くと「東京は特殊だ、大手町・霞ヶ関の考え方を捨てろ」とよく言われる。本書によれば東京人は、

 

・全国でとびぬけた出世率、その分競争が激しい

・「お金は汚いもの」という認識は全国最低、貯蓄率も高い

・情報通だが、流行の移り変わりが激しく、人間も飽きっぽい

 

 とある。古い因習など「どこ吹く風」というわけ。

 

 かつては大阪が経済では東京に対峙していたのだが、今やいろいろな意味で東京一極集中である。これが進むのは好もしいことではないので、筆者は「東京で原型を作り、地域ごとに異なった気質の中で、まわりに合う形で独自に育てる」ことが重要だといいます。これは僕の地方行脚の際にも、参考になる言葉でした。

5年前にちゃんとバラしてました

 2018年発表の本書は、元東京地検特捜部副部長で衆議院議員の経験もある若狭勝氏の政界裏面(というより暴露)書。著者とはある縁があって面識があり、この本も紹介されたもの。特捜部時代は政治家の不祥事を追うのが仕事だったが、ひょんなことから4年間に4度の選挙に臨み、2勝2敗だったと本書にある。小池都知事の「都民ファーストの会」を応援して勝ち、「希望の党」で戦って敗れた。しかし3年間は議員活動をしていたので、他の議員が語らない国会議員の裏面を平然とバラすことができた。

 

 よく「政治は清濁あわせ呑む」と言われるが、著者の目には「犯罪は犯罪」と映る。昨今話題の裏金問題も、赤裸々に記述してある。国会議員のほとんどは、犯罪者であるとしている。その罪状は、

 

・選挙に当たって事前運動は当たり前

・自らのもしくは支援者の選挙では買収行為をする

・そのための資金はパーティ券のキックバックなどで貯めた裏金

 

        

 

 というもの。政治家個人と政党支部長を使い分けるテクニック(!)も紹介されていた。一般の人が十分実態を知らない、文書交通費、JR無料パス、法外に安い宿舎やオフィス等の特権を享受し、本来の仕事である立法については全く知識がない。

 

 委員会では居眠りやスマホいじり、審議する法案はちんぷんかんぷんなのだからいたし方ない。そんな具合でも議員が務められてしまうので、選挙に勝つこと、党や内閣でいいポストをつかむこと、そのために現ナマを使うことにまったく罪悪感のない議員が出来上がるわけだ。

 

 安倍(当時)総理も含め、現役の国会議員の所業についてもかなり手厳しく批判している。最後に、国会議員を連続で続けることができないよう、衆院4年・参院6年の一期制にすべきとあるのは面白い提案だった。

 

 うすうす知ってはいたが、ここまで赤裸々に書かれると半分絶望してしまいます。しかし5年以上前にバラしてくれていたのに、当時は騒ぎにならなかったですね。本書があまり売れなかったせいでしょうか?