新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

全国280箇所の「地方政府」

 「日本地図シリーズ」第三弾は、幕末期の大名と藩に関するもの。著者の中嶋繁雄氏は歴史ノンフィクション作家。「廃藩置県」の前には、天領の他に全国に約280の藩が存在した。地方政府でもあったこの組織群について本書では、

 

・当主と明治政府での地位(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)

・石高、人口、家臣数

・城もちか否か

 

 を示し、当主の卒爾や徳川時代の内政(特に財政改革)や幕末期の行動について記している。徳川幕府は強大な外様大名は江戸から遠くに置き、近隣には譜代の比較的小さな大名を置いていた。それゆえに関東圏には数万石の小大名が多い。上記のデータから藩の運営にあたっての概算ができる。

 

・1万石あたりの人口は、約1万人(米作以外の産業の多寡によって倍程度にはなる)

・1万石あたりの家臣数は、約100人(家族を除く)

・1~3万石程度の小大名では、城は持てず「陣屋」どまり

 

        

 

 時代劇で剣豪が大名家の家臣を50人ばかりぶった切るシーンがあるが、小大名なら壊滅してしまうわけだ。あと領地の政治を明治新政府が任命する県知事に奪われてしまった藩主は、爵位をもらって貴族となった。その爵位にもいくつかの基準がありそうだ。

 

・公爵 水戸徳川家(35万石)島津家(73万石)毛利家(37万石)だけ。新政府樹立に功績大の雄藩ということ。

・侯爵 尾張徳川家(62万石)紀州徳川家(56万石)前田家(102万石)黒田家(52万石)などの雄藩。土佐山内家(22万石)が入っているのは、上記の功績大のゆえ。

・伯爵 伊達家(63万石)など、おおむね10万石以上の大大名。

・子爵 10万石以下の大名はほとんどこれ。会津藩は28万石だったが最後まで新政府に楯突いたので1階級ダウンされたようだ。

・男爵 1万石クラスばかりで非常に少ない

 

 徒歩や馬程度の機動力では、このくらいの規模がガバナンスできる単位だったのでしょう。今では47都道府県でも、小さすぎるという意見もあって「廃県置州」を唱える人もいますが。