新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

どうしてそこが戦場になったか

 本書は、昨日に引き続き「日本地図シリーズ」の第二弾。同じく武光教授に加えて、合戦研究会の皆さんが著者に加わっている。そこそこの勢力同士がぶつかり合ったものを合戦と定義しているようで、戦場が海外のものは除かれている。巻末にある日本合戦史には、磐井の叛乱(528年)から箱館戦争(1868年)までの100余りの合戦が列挙してある。その中から、20の主だった(日本史として影響の大きかった)ものを20選んで背景と戦闘推移、その結果を詳述している。

 

 多くの合戦は僕にっては既知のものだが、どうしてそこが戦場になったかを考えると「地図」の意味が出てくる。2つの軍事勢力が有りその衝突が避けられない時、どうしてその舞台が選ばれるのか、いくつかのパターンがある。

 

        

 

1)京都への道

 関ケ原の合戦(1600年)が代表的なもので、東軍が大阪・京都を目指し西軍がこれを阻もうとしたケース。関ケ原では壬申の乱と2度の「天下分け目の決戦」が行われている。鳥羽・伏見の戦い(1868年)は、京都までが戦場になった。山崎の合戦(1582年)も、淀川と天王山に挟まれた隘路の出口で明智軍が羽柴軍を迎え撃った。

 

2)港の争奪戦

 水軍がからむ闘いでは、港周辺が決戦場になる。源平合戦の一の谷、屋島(1184~85年)もそうだし、湊川の戦い(1336年)でも九州から海路攻め上った足利軍が朝廷側を打ち破った。技術進歩で北の港が軍事拠点になり独立国を宣言するまでになった箱館戦争も、その中に入れていいだろう。

 

3)大軍を閉じ込めての奇襲

 厳島の合戦(1555年)と桶狭間の戦い(1560年)は、大軍が布陣する島や丘に少数勢力が奇襲をかけて打ち破ったもの。大軍ゆえに混乱すると身動きが出来なくなる。倶利伽羅峠の合戦(1183年)もその例に加えられるかもしれない。

 

 その他、勢力争いの焦点(川中島長篠城)や孤立勢力が頑強に抵抗したところ(会津戦争島原の乱)も戦場となりました。地図で見る合戦史、面白かったです。