新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

心がゆがんだギリシア移民の死

 1949年発表の本書は、女王アガサ・クリスティのノンシリーズ。レギュラー探偵は登場せず、警視庁副総監ヘイワードの息子チャールズが私として登場する。ノンシリーズゆえ買う気になれなかったので、ほぼ最後の未読女王作品となった。

 

 WWⅡで長く英国を離れていた外交官の私は、エジプトでソフィアという美しい娘と恋に落ちた。帰国して結婚しようとした2人だが、彼女の祖父アリスタイド・レオニダスの死に直面する。毎日注射するインスリンが別の薬物にすり替えられていた、毒殺と思われる。

 

 アリスタイドは若いころ英国に来たギリシア移民で、1軒の食堂から次々に事業を拡げた大富豪。商才というより悪知恵の働く「ねじれた」男で、法律すれすれの所業で財を成した。87歳になって、若い後妻、長男夫婦、最初の妻の姉、次男夫婦と3人の孫と暮らしていた。孫の一人がソフィアである。

 

        

 

 アリスタイドは醜悪な小男だが、不思議な魅力もあった。しかし外見同様心もゆがんでいて、家族全体が「ねじれている」のだ。ソフィアの弟は小児麻痺で少し体が不自由、妹は祖父そっくりの醜女だが知恵はあって探偵気取り。若い後妻と色男の家庭教師の仲も怪しい。長男は無能で、受け継いだ事業を破綻させかかっている。次男の妻は有名な女優、その派手な言動に眉を顰める人も多い。

 

 ヘイワードは捜査にあたる主任警部を派遣しただけでなく、ソフィアの恋人である私にも内部からの捜査を命じる。事件未解決ではソフィアが結婚に承知すまいと思った私は、それを引き受けた。しかし家族の話を聞けば聞くほど、その「ねじれ」に頭を痛めることになる。

 

 私が父親のところに報告に戻り、議論するシーンが面白い。ソフィアの妹も名推理をして見せるし、副総監も立場をわきまえながらも鋭いことを言う。作者が本書にポワロもマープルも出さなかったのは、名探偵ではない視点で難事件を観たかったからだと思う。

 

 隠れた名作、十分堪能できました。ある程度結果は(ひねた読者なので)見えていましたが・・・。

 

ノース海峡21km間の陰謀

  1930年発表の本書は、F・W・クロフツの凡人探偵<フレンチ警部もの>。以前紹介した「フレンチ警部と紫色の鎌」の次の作品にあたる。今回警部は、アイルランド島グレート・ブリテン島の間にあるノース海峡(幅21km)を巡る陰謀に挑戦する。

 

 ロンドンに引退していたベルファストの実業家マギル卿は、リネン事業の後継者である息子を訪ねると連絡してきて、消息を絶った。ロンドンから寝台車で海峡の東(ストランラー)まできて船に乗り、西側(ラーン)に渡ったことまでは分かっている。

 

 地元警察では手に負えないと、上司の指示で警部は北アイルランドに向かう。卿の遺産は莫大だし、今回はリネン事業に革命を起こす発明書を持っていたという。やがて死体が息子の屋敷内で見つかるが、息子にはアリバイがあった。

 

        

 

 他に遺産相続権があるのは、2人の娘と甥。卿は男系継承を重視しているので、遺産の大半は息子に行く。しかし息子には娘しかおらず、次の代になったら息子のいる甥に遺産を継がせることになっていた。

 

 その甥の周りには、賭博好きで借金を抱えた者など不審な友人たちがいる。甥自身にはアリバイがあるように見えるのだが、友人の一人がマギル卿と同じ寝台列車に乗っていたこと、別の友人が付近を小型のランチで航行し、さらに別の友人が自家用車で旅行していたことも分かる。

 

 ストランラー駅/埠頭の周辺を、列車・ランチ・自家用車が怪しい動きを見せていたという目撃情報が続々入ってくる。警部は、列車の時刻表、ランチの速度、自家用車の所要時間などをち密に計算し、その晩何が起きていたのかを再現しようとした。

 

 時刻表こそ出てこないが、後年日本で花開いた「ち密なアリバイ崩し」の先行例です。学生時代に読んだときは、ノース海峡の地理的なこと(都市の交通・位置関係)がわからず苦労しました。作中の簡略地図だけでは実感がわかないのです。でも今はGoogle MAPがありますからね。一度だけ言ったことのあるベルファスト周辺も、よくわかりました。

 

<ひかり号>を抜く<ひかり号>

 本書は、昨日紹介した斎藤栄「2階建て新幹線殺人旅行」とほぼ同時期(1985年)に発表された、やはり新幹線車中の殺人事件を扱ったもの。舞台や時期は同じなのに、全く違った重厚な社会派ミステリーなので、あえて今日紹介したい。

 

 作者森村誠一はデビュー二作目の「新幹線殺人事件」(*1)で、作家としての地歩を固めた。その記念作品の続編を約15年後に発表したのが本書で、登場する刑事にも同じ人物がいる。

 

 当時のダイヤには、まだ<のぞみ号>はない。その代わり、停車駅の多い<ひかり号>と主要駅しか止まらない<ひかり号>があった。そのため、<ひかり>が<ひかり>を途中駅で追い越すことがある。

 

        

 

 死体が見つかったのは、博多発東京行きの<ひかり116号>。名古屋駅で発見されたのだが、刺殺されたのは新大阪~名古屋の区間と推定された。被害者は「悪検」とあだ名されるやり手の商社社長検見川、博多の愛人を<ひかり4号>に載せ一緒に東京へ向かっている途中の事件だった。

 

 愛人が第一容疑者なのだが<4号>は、博多を44分後に出、岡山~新大阪間で<116号>を追い越し、東京には12分早く着く。彼女は新大阪で<116号>に乗り換えて犯行は可能だが、再び<4号>に戻ることはできない。このアリバイが、捜査陣の前に立ちはだかる。

 

 加えて<116号>のその車両では、誘拐事件で5,000万円の身代金授受も行われていた。誘拐と殺人はどう絡むのか?また、検見川がやっていた土地転売詐欺事件もある。これらの犯罪に関わってくる人たちの生態がリアルだ。

 

 トリックもさすがですが、これらの人(全員庶民)の恨みがヴィヴィッドなのが作者の特徴です。新幹線のアリバイ崩しは「口直し程度」で、本質は社会の歪みの告発と言っては言い過ぎですかね。

 

*1:最初に感動した日本ミステリー - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

大西洋航路上での殺人事件

 1940年発表の本書は、不可能犯罪の巨匠ディクスン・カーの<H・M卿もの>。前作「かくして殺人へ」でもWWⅡの始まりが事件に影を落としていたが、本書はまさにその渦中。貨客船<エドワーディック号>は、米国から軍需物資を載せて英国へ向かうのだが、その航路上で殺人事件が起きる。

 

 乗客は一等船室の9人だけ。そのうちの一人でトルコ外交官の元夫人エステルが、何者かに喉を掻き切られて死んだのだ。乗り合わせていた船長マシューズ中佐の弟マックスは、新聞記者上がりの好奇心で事件を探る。血まみれの死体には、犯人のものと思しき親指の血染めの指紋が残されていた。乗員・乗客も限られているので、指紋照合すれば事件解決・・・と思いきや、誰ともその指紋が合致しない。

 

 そもそも9人の乗客の多くが怪しい。殺された外交官夫人、フランス軍の大尉、正体不明の若いイギリス娘、英国の青年貴族、米国の地方検事補、米国人の医師・・・と誰がスパイでもおかしくない。

 

        

 

 加えて船長は9人目の乗客のことを一切話さず、匿ったまま。マックスは船の事務局長や検事補と捜査を続けるのだが、今度はフランス人の大尉が銃で撃たれて海に落ちた。潜水艦攻撃が怖く灯火管制中なので、ライトを付けたり船を止めての捜索もできない。

 

 「こんなに怪奇な事件はH・M卿にしか解決できない」とマックスが思った矢先、9人目の乗客が極秘任務を持って英国に戻るH・Mだったことが分かる。犯人の手がかりをつかんだと卿は自慢するのだが、犯人に殴り倒されて意識を失ってしまう。

 

 卿の登場シーンからして、毛生え薬を勧める床屋を怒鳴り散らしているところ。以後後半すべてを通して、傲岸不遜のH・Mの言動が特に目立つ作品である。しかし大団円や推理はなかなかのもの。作者の作品中でも上位に位置付けられそうだ。船上で次々に人が死ぬところは「そして誰もいなくなった」を思わせるし、限定された容疑者から真犯人の条件を4つ挙げて特定する推理はクイーンばり。

 

 初めて読んだ作品ですが、これが未読で残っていたのはお得でしたね。

 

若き日本のエラリアン登場

 本格ミステリーが行き詰ったかに思われた20世紀末、日本では僕と同世代の若い作家たちがパズラーを続々発表し始めた。「新本格の時代」がやってきたのだ。その代表的な作家の一人が有栖川有栖。小学生の時にミステリーにはまり、中学生の時に「オランダ靴の謎」で衝撃を受けて、エラリー・クイーンに傾倒する。中学時代に100枚程度の小説を書いて懸賞応募したというから、ジェームズ・ヤッフェに匹敵する早熟さである。

 

 そんな作者は何度か習作を応募するうち、賞こそ獲れなかったが鮎川哲也の目に留まり、何度かのリライトを経て完成したのが本書。「鮎川哲也と13の謎」と題したシリーズの1作として、1988年に発表されている。

 

 英都大学ミステリー研の1年生である僕(有栖川有栖)は、部長の4年生江神ら4人で信州の矢吹山にキャンプ合宿にやって来た。キャンプ場には他の大学のワンゲル部など男女の大学生13人がいた。

 

        

 

 彼ら17人は仲良く山歩きをし、食事を作り、ゲームをして過ごした。有栖は短大生理代に淡い恋心を抱く。しかし3日目の夜に短大生小百合が書置きを残して居なくなり、さらに矢吹山が噴火して16人は孤立してしまう。そんな中ひとりの男子学生が刺殺体で見つかり、ミステリー研の面々は「本当の犯人捜し」をする羽目になる。さらに失踪、第二の殺人と続き、噴火も激しくなる中、13人に減った彼らは脱出を図るのだが・・・。

 

 作中、何度も本格ミステリーの題名や内容が議論に上り、月を信仰する宗教など怪しげなものが続々でてくる。そしてお約束の「読者への挑戦」があって、最後の40ページは江神部長の謎解きで締めくくられる。

 

 ミステリーには堪能でも実社会経験の少ない作者は、舞台を隔絶された大学生だけの世界に設定した。僕も作者同様学生時代に習作を書いた経験があるが、これが無難な道だと思う。しかしエラリアンとしての作者の情熱は、僕を大きく上回るものでした。最初に読んだ時も、平板さは感じながらも作者の将来を楽しみに思ったものでしたよ。