新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

唐芋侍、京へ行く

 幕末から明治維新にかけては動乱の時代であったが、戦国時代のように大規模戦闘が頻発したわけではない。蛤御門の変、鳥羽伏見の闘い、会津戦争、函館戦争、西南戦争くらいが、正規戦と呼べるものだと思う。上野に彰義隊がこもった件にしても、佐賀の乱神風連の乱なども小規模紛争にすぎない。

 
 この時代の「動乱」の多くは、暗殺などのテロのようなものだった。有名な「新選組」にしても、相手方から見れば巨大なテロ集団に見えただろう。もともとは倒幕勢力が京を中心にテロを仕掛けていたので、幕府(会津藩)がカウンターテロリストとして雇ったのが「新選組」だったのだから、お互い様であるが。
 

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 そのような時代には、「人斬りxx」と異名をとる男が何人も出た。その中で(おそらく)唯一功名を遂げたのがここで紹介する、中村半次郎のちの桐野利秋である。上下関係が非常に厳しい薩摩藩で、最下級(年俸5石)の郷士の家に生まれ、芋しか食えない「唐芋侍」とさげすまれながら居合を磨いた青年半次郎。人に竹筒などのものを放らせて、それが地面に落ちる前に4回居合で斬ったと池波正太郎は書いている。
 
 ただ4回斬るのではない、毎回鞘に戻しながら4回斬るわけだ。早業を見た西郷吉之助は「3回か」と驚くが、実は4回斬っている。フィギュアスケートのジャンプ回転が速すぎて、僕たちが3回転・4回転の区別がつかないのと同じだ。薩摩の剣法「示現流」は、守りはなく攻め100%の捨身剣法である。上段に構え、ただただ剣を相手の頭か肩に振り下ろす速度を高める。仙厳園を訪れた時、示現流の道場を模した展示室を見た。稽古に使う立ち木はさんざん叩かれて人間の頭部にあたるところが左右ともすり減ってしまっていた。
 
 剣の腕を買われて京の薩摩屋敷に詰めることになった半次郎は、孝明天皇の補佐役である中川宮の護衛に就いて宮に可愛がられる。現実に宮には刺客が送られてくるが、半次郎はその攻撃をはねのける。新選組副長土方歳三も配下に「半次郎には手を出すな」と告げたと本書にある。
 
 新選組一番の使い手沖田総司なら、彼を倒せたかもしれない。沖田の天然理心流三段突きと半次郎の示現流居合。どちらが速かったか、歴史マニアとしては興味が尽きない。幕末の動乱を明るく生き抜き、勉学にも励んだ半次郎は新政府で「陸軍少将」まで登りつめる。