新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

鉄甲船と亀甲船の伝説(前編)

 「信長の棺」でデビューした作者の加藤廣、このときすでに75歳。プロのバレリーナになろうと思ったら3歳までに決断すべきと言われていて、プロになるには適切な年齢がある。僕らのような技術者であれば、大学卒業時の22歳くらいだろうか。確かに作家の場合は40歳からでもいいと言われていたが、75歳というのは空前絶後だろう。

 

 デビュー作でも「信長の死の真相」を大胆な仮説を示し、緻密に検証することで読者を魅了した。本書でも、その時代設定とその手法は変わっていない。主人公は九鬼守隆、今の三重県鳥羽市あたりを根城にした水軍の将である。織田信長の生国である尾張に近いことから、「天下布武」の比較的早い時期から、父親の嘉隆が織田家の家臣団に加わっていた。

 

 織田信長は仇敵である石山本願寺攻略戦で、陸上では包囲網を作りながら村上水軍に敗れ本願寺を屈服させられなかった。村上水軍は炮烙という手投げ焼夷弾のようなものまで持ち出して織田方の水軍を蹴散らし、本願寺に補給物資を運び入れたのである。

 

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 通説では信長が九鬼はじめ自陣営の水軍に、「鉄甲船」を設計・建造させたと伝えられる。鉄張りの大型船で、焼夷弾を投げ込まれても炎上しない防御力を持っていたという。この戦力で村上水軍を破り、石山本願寺攻略に成功したわけだ。ところが作者は、「甲板など上部構造物に鉄張りをしたトップヘビーの船など役に立たない」と考え、「鉄甲船」とは巨大なだけで外板を黒く塗ったものではないかという仮説を示す。

 

 この仮説に、子供のころから海が大好きな早熟の少年守隆の成長や活躍を重ね合わせて、物語は進む。豊富な食料(魚)で育つ志摩の子供は、「生き急ぐ」と言われるほど成長が早い。10歳で元服、12歳で婚姻というのも珍しくなかったという。守隆少年はエンジニアリングにも才能を発揮、船の構造や運用についても大人顔負けの意見を言う。やがて彼は南蛮船の構造に興味を持ち、難破船で来た欧州人などとも交流していく。

 

<続く>