新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

マルコ殿下のFS作戦

 太平洋は、地球で一番広い海である。広大なエリアに良港は数えるほどしかない。北部ではハワイ、ミッドウェー、ウエーキ、小笠原、中部ではトラック、クェゼリン、パラオ、グアムなどがある。南部では、本書の舞台である、フィジーサモアが代表的なものだ。

 
 1942年勢いに乗る帝国海軍は、ラバウルからポートモレスビーソロモン諸島方面(有名なガダルカナル島がある)に勢力を伸ばしつつあり、その先にフィジーサモアを狙う「FS作戦」を考えていた。ミッドウェー海戦で勝利すれば、続いてFS作戦を実施、フィジーサモアを制圧しようとしたのである。この作戦は、ミッドウェーで躓いたことによって、幻に終わった。

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 なぜ南太平洋のこんなところを攻略する意味があったのかというと、この2島(群)が、アメリカからオセアニアへのシーレーンにあたるからである。フランス領ポリネシアを除き他に良港や迂回する航路はなく、FS作戦が成功していたら、オーストラリアやニュージーランドは孤立する危険性があった。
 
 従って(今でもだが)サモアの半分は米国の自治領として、重要な地点であることに変わりはない。そんな米領サモアパゴパゴに、マルコ・リンゲ殿下がやってきたのが本書、1969年の作である。フィジーで消息を絶ったCIA要員の死体の一部が見つかり、この南の楽園で何らかの陰謀が進行中の疑いが出てきた。事件究明の依頼を受けたマルコは青いアルパカのスーツでDC-8のファーストクラスから降りてきたが、現地の蒸し暑さに辟易する。
 
 フィジー西サモアイギリス連邦のメンバー国で、当然英国系の人が多いのだろうと思っていたが、一番多いのはインド人だと本書にある。中華系の人は世界中に散っているが、イギリス連邦ではインド人も劣らず多いようだ。彼らは数字に明るく、比較的勤勉でかつ結束力が強い。アフリカのある国の独裁者がインド人に国の経済を握られていることに腹を立て、インド人を追放してしまったら国家が破綻したということもある。
 
 フィジー西サモアも似たような状況にあって、インド人組織に頼らないと経済が成り立たないらしい。本書で重要な役割を果たすのは、インド人の中でも根っからの戦士であるグルカ族。ククリナイフというブーメラン様に曲がったナイフを使う白兵戦で無類の強さを誇るのが、グルカ兵。イギリスの傭兵として世界中で暴れまわった。あるゲームでは、グルカ兵に限って白兵戦闘力を倍にする(特にイタリア兵相手だと3倍)特別ルールがあるくらいだ。
 
 楽園のような島で長く暮らしてきたフィジーサモアの人たちは、幸福ではあるが近代化には不向きな性質を持っている。そこに大英帝国の威信を背景にし、鉄の結束を図るインド人たちが入って来て近代化が始まった。それが是か非かは別にして、アメリカとオーセアニアを結ぶ地理的環境がある以上、避けられないことだったように思う。本書では、マナジリを決したインド人社会と、変化に戸惑いながらも楽天的な現地人を神聖ローマ帝国大公の末裔の視点で描いている。ちょっと残虐シーンが過ぎるように思うが、地政学の勉強にはなりますね。

マンハッタンに棲む龍

 マンハッタンの中心部から車で20分程度、島の北部にかつてインディアン保護区だったところに熱帯魚の養殖で財をなした富豪の屋敷がある。屋敷では怠惰なパーティが開かれ、いわくありげな人物が集まっている。夜も更けて小川の流れをせきとめたプールで泳ごうという話になり、当家の令嬢と婚約している青年が飛び込み台からプールに飛び込んだまま行方不明になるという事件が起きる。

 
 パーティの出席者のひとりがなぜか殺人課に通報し、ヒース部長刑事が現地に急行する。死体も何もないのだが現場のただならぬ雰囲気を感じたヒースは、マーカム地方検事とその友人ファイロ・ヴァンスを連れ出すことにした。ただの事故か失踪と思われる事件なのに真夏の真夜中に引っ張り出されたマーカム検事は不満顔だが、ヴァンスは普通とは違う意欲を見せて、事件に介入する。

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 夜ではあるがプールの周りには大勢の人がいて、明るく照らされているところもある。明かりの届かないところは絶壁か湿地になっていて、ここを通った形跡はない。しかし翌朝プールを干してみても、死体はなかった。いわばプールという密室からの脱出劇である。
 
 そしてプールの底には、波型で3本爪の足跡がいくつかあった。屋敷の主人の老母が、プールには龍が棲んでいて龍がこの青年をつかんで飛び立ったという。龍は自らの家の守り神であり、孫娘と婚約したこの青年は家に災いをもたらすと考えた龍が殺したのだとの主張。
 
 いまでいう認知症を患っている老母の話をマーカム検事らは取り合わないが、ヴァンスはこの地域にあるインディアンの龍伝説に興味を持つ。やがて彼は老母の「龍が死体を隠した」という言葉をヒントに、青年の死体を発見する。
 
 この地域は氷河が削った跡や、甌穴がある複雑な地形で、インディアンの遺跡や古い要塞もある。広い屋内にはも古い納骨堂や車庫もあり、冒頭に掲げられたポンチ絵的な地図が、謎解きをする読者にとっては刺激的である。
 
 ヴァンス探偵はペダンティックが過ぎ、それが鼻につくという人も多い。本書でも、10ページにわたる「世界中の龍伝説」の講義があり、中国・日本はもちろんアルメニアのものさえ紹介されている。面白かったのは「5本爪の龍は温和だが、3本爪のは凶悪だ」というコメント。一般に中国の龍は5本爪、沖縄の龍は4本爪、日本の龍は3本爪である。
 
 本書の発表は1933年、驚いたのは警察が現場写真を撮っていないこと。上記のプール底の足跡も刑事がスケッチして「良くかけている」と褒められている。ヴァン・ダインは「ひとりの作家に6を超えるミステリーの想があるとは思えない」として、6作で絶筆すると言っていた。しかし7作目の本書も、なかなか面白い力作である。しかし100年前とはいえ、マンハッタン島に上記の地図のようなところがあったのだろうか?

ウーゼドム島ペーネミュンデ

 半島の付け根の国が、相変わらず騒がしい。何年か前中距離弾道弾「ムスダン」と思しき飛翔物を4発同時発射、日本海に着弾させた。移動式発射台を使っての斉射であり、軍事的脅威は増していると専門家は言った。続いて固体燃料の燃焼試験を満面の笑みを浮かべてたたえる彼の人物の映像も流れ、先行きを懸念させる報道・行動になっていたのを思い出す。

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 この弾道ミサイルだが、ルーツはナチスドイツのV2号であることは良く知られている。第一次大戦に敗れて巨額な賠償と悪性インフレに悩んでいたワイマール共和国で、1927年に「宇宙旅行協会」が発足する。彼らは宇宙旅行のための液体燃料ロケットの研究を始めるのだが、当然資金難に陥る。
 
 これに救済の手を差し伸べたのが、このロケットとフォン・ブラウン博士らの才能に長距離攻撃兵器の可能性を見出した(ワイマール)陸軍だった。ヒトラーが政権を掌握した後の1936年には小型ロケットの開発計画を終了。より大型の開発に入り、ベルリン郊外から研究施設をバルト海の離島であるウーゼドム島ペーネミュンデに移して、試作や実験を始めることになる。
 
 A4型と呼ばれた大型ロケットの発射実験が成功したのが、1942年10月。この時点で戦局は膠着し、ドイツ軍のさらなる進撃は望めなくなっていた。このロケット兵器とは別に、ジェットエンジンを積んだミサイルも開発されていて、V1と呼ばれていた。V1はロンドン空襲などに使われ初期には戦果を挙げたが、ちょっと早い戦闘機程度の速度なのでRAF(Royal Air Force)が慣れてくると、迎撃されるようになった。
 
 スピットファイアやモスキートのような高速機がV1の横に付き、翼を使ってハネ上げてコースを外れさせることもできたという。怒ったヒトラーは、もっと高速のミサイルをもとめた。それゆえV2と名付けられた上記大型ロケットは、人類最初の「弾道ミサイル」として、イギリスやベルギーに降り注ぐことになった。
 
 70年余後の現在の軍事技術をもってしても、弾道ミサイルの迎撃には困難な面がある。一旦発射されれば当時の連合軍に成すすべはなかったが、ペーネミュンデの研究施設や配備された発射基地を空爆することである程度の予防措置は可能だった。大量生産できるだけの設備や物資もドイツ側には残されておらず、Vの意味する報復(Vergeltungswaffe)は成らなかった。
 
 フォン・ブラウン博士は戦後アメリカに移り、アポロ計画を主導した。技術者として、最初にやりたかった「宇宙旅行」を完遂できたわけだ。

探偵小説への愛と渇望

 金田一耕助のデビュー作が、本書に収められている「本陣殺人事件」である。設定は第二次世界大戦前であるが、発表されたのは1946年(4月から12月まで「宝石」誌上に連載)。かつてはその町の「本陣」だったという旧家で、新婚の長男夫妻が日本刀で斬殺されしかも現場が密室だったという謎が、読者に付きつけられる。

 

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 本陣への道を聞いたという不気味な三本指の男、死んだ猫を愛でる精神(発達?)障害の娘、ミステリーマニアの放蕩息子など、怪しげな人物が登場してディクスン・カーばりの怪奇な雰囲気がただよう。未明の犯行時刻に流れた琴をかき鳴らしたり、琴糸を弾くような音。離れ家の周りに足跡もつけず、雨戸を内側から閉めたまま犯人はどうやって逃げたのか?1920年ころから英米で隆盛となった「探偵小説」への深い愛を、本書には感じる。
 
 敵性国家である英米の、しかも探偵小説などという軟弱なもの、世間を惑わすものはしばらく「ご禁制品」だった。そんな中で多くのマニアは、エラリー・クイーンの新作がどうだとか、ディクスン・カーが「密室講義」を含む作品を書いたとか、アガサ・クリスティーに新しい探偵役は・・・等々流れてくるウワサに渇望していたのだろう。
 
 横溝正史の本書は、戦後になってぽつりぽつり入ってきた英米の探偵小説への「渇き」が凝縮されたものと言える。わずか200ページほどの中に、探偵小説のトリック分類やミニ「密室講義」もあって、金田一耕助が本陣家の探偵小説のコレクションの前で感動して立ちすくむシーンが印象的だ。
 
 横溝正史以降、高木彬光鮎川哲也など、ミステリーの新しい旗手たちがやってくるのだが、彼らを突き動かしたものは、しばらく前には触れることができなかった本格探偵小説への愛と渇望だったと思う。ある意味、マニアにとっては幸せな時代だったのかもしれません。

ヒトラーの敵「黒いオーケストラ」

 トランプ大統領は、就任前から中央情報局(CIA)を非難してきた。例えば、彼がロシアに弱みを握られているとの情報を流したのはCIAだというのである。便益よりもリスクが大きい組織だという認識から、CIAを縮小するとも言ってきた。メディアは、大統領と情報機関の確執に対して、当然ながら悲観的な見方をした。その後もフリン大統領補佐官がロシアとの関係で辞任を余儀なくされると、大統領は「情報機関がメディアに違法に情報を流したからだ」と非難を続けている。


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 情報機関が仕えるのはその国のTOPであるべきだが、TOPと情報機関(もしくはその長)との間に信頼関係が無ければ、その政権は危ういと言わなくてはなるまい。ましてやそれが、大きな戦争を戦っている時であれば。
 
 1935年から1944年まで、ドイツ国防軍情報部の長官であったカナリス大佐(のち少将)は、実はナチス党が国内でもっとも警戒する反ナチス組織「黒いオーケストラ」の一員だった。カナリス長官の父方はイタリア人、母方はオーストリア人で、ドイツ人にしては小柄(身長164cm)な海軍士官だった。第一次大尉戦では巡洋艦ドレスデンに乗っていてフォークランド沖海戦で敗れ、チリに抑留されたが、単身脱出に成功する。その後スペインで情報活動にあたり、この地に人脈を築いた。
 
 40歳代後半になって海軍を引退するまぎわに就いたのが国防軍情報部の長官職だった。情報活動を理解いしている人材が少なかった第三帝国では、カナリス大佐は貴重な人材だった。本書の冒頭にドイツ国防軍情報部の全組織が表形式で書かれているが、非常に大きな組織でこの時期ではアメリカのOSSやイギリスのMI5/6に比しても決して遜色はない。のちにムッソリーニ救出やバルジの闘いで後方かく乱をしたブランデンブルク部隊まで、傘下に収めている。
 
 当初はヒトラーの信任が厚かったカナリス長官が、なぜ反ナチス組織「黒いオーケストラ」に関わっていったかというと、情報のプロとしてドイツが戦争に勝つ見込みがないと分かっていたかららしい。彼はポーランド侵攻に反対し、フランス侵攻では情報操作までしてこれを阻止しようとした。フランスを占領しても「防衛ラインが広がるだけで、占領地の治安維持にも兵力が要る。ドイツにはそのような戦力はない」との判断だった。
 
  友人の多いスペインに対しては、ヒトラーフランコ総統に参戦を求めていることについて、「ドイツはいずれ敗れる、スペインは中立を守るべきだ」と説いている。情報機関の長としてのこの動きには、賛否両論があろう。しかし彼はヒトラーの次のドイツを考えていたのだろうし、そのためにできる限りの事をしたのだと思う。彼は「次のドイツ」を見ることなく、終戦直前に処刑された。その矜持は、学ぶべきものだろう。