新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

Leave Us Alone Coalition

 本書も昨年10月末に初版が出たばかりの新書、とはいえこれは貰い物ではなくBook-offの100円コーナーで手に入れたものである。どうしてそんなに新しい本がと思うのだが、2020年11月と書き込みがあり本文中に傍線を引くなどしてあったから100円コーナーに回されたようだ。しかし書き込みするほどの熱意で読んで、すぐに売るという理由が分からない。

 

 本書の前半は、なかなか面白い。全米税制改革協議会議長ノーキスト氏の主張を紹介し、米国(だけでなく日本もそうだが)には税金を無駄遣いし、利権を貪る連中を「Taking Coalition」(利権連合)と呼んで糾弾し、これに対抗するものとして「Leave Us Alone Coalition」(ほっといて連合)を立ち上げるべきとある。

 

 税金と規制は表裏一体というのが著者渡瀬裕哉氏の主張ポイントで、規制とは政府が法律等を定めて生活に介入することだから、罰金や税金と同じだという。規制を作っても税金を増やしてもそれにたかるヤカラがでてくるので、健全な経済成長は期待できないということ。知の巨人ハイエクの「小さな政府論」を引いているあたりまでは共感できる。

 

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 ただそれを日本で実現しようとする後半には、ちょっと違和感があった。著者は政治家に「すべての増税に反対し、規制を(片端から)廃止すること」を約束させ、それに反するものは次の選挙で落とすべきだという。ただ現時点の選挙制度はそれ(有権者の意思をストレートに反映すること)に不向きなので、

 

・各政党候補の選択を予備選挙で行い、党の意志で決めさせない。

・比例復活をさせないために、重複立候補を禁止する。

・長老化や固定化を防ぐために、2~3期までの任期制とする。

 

 ことを提案している。この制度については僕自身は半分賛成、半分反対である。さらに問題なのは、米国の共和党が小さな政府指向でいいと褒めながら、日本の政党で名前を挙げているのが「NHKから国民を守る党」だけということ。どうして「維新の会」の名前が出てこないのか、理解できない。

 

 トランプ政権の功績として各種の減税以上に「2対1ルール」(新しい規制を作るには2つ規制を廃止する規定)を徹底させたことを挙げているなど、本書はそれなりに面白かったのですが、じゃあどうするのに十分応えてくれていません。すぐ売った人も、同じ印象を持ったのかもしれませんね。

マッカーシズムのアメリカ

 本書は一作ごとに趣向を変えて読者を楽しませてくれるウィリアム・デアンドリアの第五作。以前紹介したTV業界人マット・コブのシリーズではなく、時代を1951年に設定してマッカーシズム赤狩り)の時代を描いている。

 

 日本人のよく知らない米国の、ある意味暗黒時代である。ソ連をはじめとする共産主義の台頭があって、朝鮮戦争も勃発している。せっかく第二次世界大戦に勝ったというのに、米国は新たな脅威に直面して冷静さを欠いていたようだ。1950年、共和党マッカーシー上院議員が「国務省共産党員が200人以上いる」と爆弾発言をして「赤狩り」の流れが起きた。今でいう「Fake News」である。

 

 多くの人たちが「隠れ共産党員」の疑いを掛けられて、社会的に葬られた。大リーグのシンシナチ・レッズは球団名を一時期変更したとある。本書の背景がそうであったことを知らないと、本書のストーリーは(特に日本人には)分かりにくいものだ。本書を最初に読んだのは大学生のころ、書評の高い本だったのだがあまり印象に残っていない。

 

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 このころの米国は二人の"M"に象徴されるという。ひとりは当然マッカーシー議員だが、もうひとりはNYヤンキースミッキー・マントルである。右投げ両打ちの外野手、1956年には打率.353、52本塁打、130打点で三冠王に輝いたスーパースターだ。

 

 本書の主人公ギャレットは、ミッキーの親友で捕手をしていたのだが朝鮮戦争で負傷してポジションを若手のヨギ・ベラに奪われた選手という設定になっている。ミッキーが逆転本塁打を打った試合、ヤンキースタジアムで反共の先鋒たる下院議員が射殺され、死体の第一発見者になったギャレットは事件に巻き込まれる。

 

 ミッキー自身も何度か登場するが、野球のシーンは思ったほど多くない。ギャレットは事件に共産党員の元大学教授が絡んでいるとにらんで彼を追うのだが、それとは別の犯罪組織に命を狙われる羽目に・・・。

 

 ニューヨークからカンザスシティ、ボストンと舞台はめまぐるしく変わり、当時の米国の風俗がいろいろな面から紹介されている。それだけでなく逃走犯人の消失トリックや牛の屠殺場での立ち回りなど、読者サービスは十分です。さすがはデアンドリア、次の作品が楽しみです。

大型ノート三冊分の記録

 零戦こと零式艦上戦闘機は、その名の通り紀元2,600年(1940年)に制式となった帝国海軍の戦闘機である。その驚くべき航続距離は、広い太平洋で十二分の威力を発揮した。しかし、多少の改造はあったものの後継機に恵まれず、旧式化しながら1945年の終戦まで戦い続けた。

 

 本書は零戦の前身、96艦戦で中国戦線で戦い始め、終戦までの8年間を戦闘機乗りとして戦い抜いた岩本徹三少尉が残した三冊のノートを基に書籍化されたものである。7.7mm機銃2丁という貧弱な武装96艦戦を駆ってソ連のイー16を蹴散らす話から、太平洋戦争終盤にB-29を単機で撃墜する話まで、実に多様な敵機と渡り合った克明な記録が残されていた。

 

 最終的には士官に登用されているが、本来は下士官。中国戦線で鳴らした操縦の腕で分隊を任され、小隊の長になり、中隊も指揮するまでになった。個人技も素晴らしいのだが、むしろ編隊戦闘に長けた航空兵だったように思う。

 

 太平洋戦争序盤では、米軍の戦闘機はP-39やF4Fである。運動性では零戦の敵ではなく、カモであった。やや危険だったのは双胴の悪魔P-38だが、岩本分隊士は「凧のような機体でマトが大きく狙い易い」という。

 

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 ラバウルとその周辺ではわずかに30機ほどの零戦を指揮して来襲する敵機を墜としまくり、米軍に「ラバウルには1,000機の戦闘機がいる」と悲鳴を挙げさせるほどだった。ただ分隊士自らが言うように、「墜としても墜としてもやってくる」物量の前に撤退を余儀なくされる。

 

 そのころになると米軍の戦闘機の能力向上は著しく、F6FやF4-U、P-47、P-51という2,000馬力級が来襲する。それを1,000馬力級の零戦が迎え撃つのだから本来なら相手にならないはず。それを岩本一家は知恵と腕でカバーして互角の戦いを繰り広げた。

 

 岩本元少尉は戦後38歳の若さで病死、死後残された三冊のノートには図面入りで個々の戦闘の記録が残っていたという次第。これを読むと、不利な場合はそれなりに有利な場合は一気河成に戦う「哲学」のようなものが見えてくる。本書には無能な指揮官への批判も多い。もっと多くの航空兵が哲学を持って戦っていたら、もう少し戦局は・・・無理は言うまい。戦術級の戦いの本質が詰まった、勉強になる書でした。

隋朝盛衰記

 田中芳樹という作者の本は、「銀河英雄伝説」を読んだことがあるだけ。それもTVアニメを見て、興味を持ったからである。「アルスラーン戦記」などの著作もあってサイエンスフィクション作家と言われているが、実は中国史に深い造詣を持ち「岳飛伝」など歴史ものの著作も多い。

 

 「銀河英雄伝説」全10巻と外伝4巻を読んだ限りでは、戦術・作戦級の戦争ものではなく、戦略級(つまり政治・外交が主体)の作家だと思う。その考え方の原点は、中国4,000年の歴史の中で覚えた「権謀術数」にあるようだ。「銀河英雄伝説」の英雄ヤン・ウェンリーにしても正直冴えた作戦家には見えない。ただ作中の戦いに勝つだけだ。

 

 兵站・訓練・士気・伏兵・奇襲などの棋理は抑えているものの、とても宇宙船の戦い方ではない。騎兵中隊と同じような戦いだし、寡兵が驚くような戦果を上げるのも本書と似ている。

 

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 本書は男装の騎兵花木蘭を主人公にした、寿命の短かった統一帝国「隋」の盛衰記である。男装の麗人は中国に限らず良くある戦士ものだが、9年もの長きにわたって男を装い幾多の戦いに生き残っただけでなく戦友にも女であることを気づかれなかったというのは例がない。もちろん木蘭は京劇の主人公であり、実在した可能性は低いのだが。

 

 隋の2代目皇帝煬帝は、高句麗討伐の軍を起こすことにして各地に徴兵令を出した。体の不自由な父親に代わって、武術の達者な17歳の少女木蘭は男装して従軍する。緒戦で活躍した彼女は、馬にも乗れるので騎兵将校に抜擢される。ただ高句麗討伐そのものは失敗、首都平壌(!)をおとすことはできず、100万余の兵士のうち30万人以上を失う惨敗になってしまう。

 

 その後は煬帝の放蕩もあり、再度の高句麗征伐など戦乱も続いて初代文帝の残した資産はどんどん減り、庶民の暮らしは苦しくなる。木蘭たちの軍勢も、河南の盗賊・反政府勢力との闘いに明け暮れる。隋最強の部隊と言われた木蘭の所属する軍勢も、「あの良くない皇帝の手先」と呼ばれて忌避されることに。

 

 戦記物として読むとちょっと首をかしげるところもあるのだが、日本人があまり知らない「隋」という国の実態を勉強できる。それにしても文帝の時代に4,500万人いた中国の人口が、「唐」に代わられた時1,300万人になってしまうというのが恐ろしい。

被害者の肖像

 いわゆるミステリーベストxxを選ぶと、かつてはベスト30くらいには必ず入っていたのが本書。モスクワ特派員などを経験したジャーナリストが、1950年に発表したものだ。アンドリュー・ガーヴは英国人、本書の前に習作ミステリー数編を発表した後、本格的に作家になろうとして本書を書いたという。発表後から評判は上々、新しい感覚の本格ミステリー作家が登場したともてはやされたが、以降の作品は「本格」とはいいづらい冒険小説になっていった。

 

 本格ミステリー大好き高校生だった僕は、ようやく見つけた本書を読んでびっくり(というかがっかり)した記憶がある。350ページ中残り100ページで真犯人が自供を始め、あとはその後日談のようになってしまったからだ。ただこれは本書を「本格」と紹介した書評家や出版社が悪いのであって、僕は立派な「変格ミステリー」だとあとで思った。

 

 平凡な公務員のジョージがある日帰宅すると、妻のヒルダがガスオーブンに首を突っ込んで死んでいた。当初自殺説もあったが、オーブンのつまみに妻を助けようとしたジョージの指紋しかないことなどから、他殺と判定される。さらに状況証拠が重なってついにジョージが逮捕され、裁判が始まろうとしていた。

 

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 ドイツに駐在しているジョージの戦友マックスが英国に休暇で帰国し、ジョージの無罪を信じて、真犯人さがしを始める。その過程で、ジョージがいい妻だと言っていたヒルダが「人を怒らせることの天才」だった実像が、娘や関係者の証言から浮かび上がってくる。傍若無人なふるまいをしてまったく悪びれず、他人がどれだけ説得しても・脅しても・すかしても「馬耳東風」を決め込む大柄な女。

 

 ヒルダは物語冒頭に死んでいるのだが、彼女のイメージが生きている人間以上にヴィヴィッドに描かれる。間接的に被害者の肖像を浮き彫りにする手法は、非常に斬新なものだった。実はこの物語の主人公はジョージでもマックスでもなく、ヒルダなのだ。一見無垢に見える彼女の挙動に関係者は一様に激怒してしまうから、マックスの行く先々にヒルダを殺したいと思っている人物が現れる。

 

 高校生の時に読んで、上記がっかりした以上に「女の怖ろしさ」を知らされた書でもある。僕が大柄な女性が苦手で、結婚が遅くなる原因となった作品なのかもしれません。